講演録「経済危機を超えて〜安定したグローバル経済の構築」

091029_iesealumni_tokyo昨日(10月29日)に、IESEの東京アルムナイカンファレンスが開かれました。場所は赤坂見附近くの、某外資企業の会議室という、こぢんまりした場所で、日本人と外国人が半々程度、30人ほどが集まりました。私がIESEのアルムナイ・カンファレンスに参加するのは、今年2月の「社会起業家」に関する回以来、2回目です。今回は学部長(Dean)のDr. Jordi Canals教授が来日して話してくれるということで、非常に楽しみにしていました。

カナルス教授の今回の講演のタイトルは"Beyond the financial crisis: Building a more stable global economy"(金融危機を超えて〜安定したグローバル経済の構築)という、なかなか壮大なテーマでした。それをたった1時間程度の講演でどんなふうに話してくれるのか??興味津々でしたが、講演内容とその後の質疑応答ともに非常にシンプルで分かりやすく、しかも本質を突いた興味深いものでしたので、少し自分の理解も整理しながら備忘録的にここに書き残そうと思います。

カナルス教授の話はいつものようにかなり早口で、内容はシンプルなのですがすごい量の重要な話をたくさんしゃべりまくるので、いつもの「超訳」的メモが起こせませんでした。ただ、話の流れやキーワードは拾ってメモしてあるので、まずは講演の概要から。以下、カナルス教授のしゃべったふうにまとめます。

■ 今求められているのは、経済のRebalancing(再調整) & Reform(改革)

「今起こっている事態はそもそも何なのか、なぜ起きたのか。The Economist誌が『The World on the Edge』(崖っぷちに立つ世界)というタイトルの特集を組んだ。非常にシンプルに言えば、結局それは『バブルがたくさん集まって、大きなバブルになった』ということだ。住宅バブル、債券バブル、サブプライム・バブル、ITバブル、信用バブル、etc. さまざまなバブルが金融セクターの技術によってつなぎ合わされ、大きなバブルになった。そして、それが弾けたらグローバル規模で金融機関や企業、個人がみんな巻き込まれ、経済が破綻してしまうという事態が生じた」

「このような事態の原因を作ったのは、一つには米国のFRB(連邦準備銀)総裁だったアラン・グリーンスパンである。グリーンスパンは97年のアジア経済危機の時、『資本移動にむやみな規制をかけることはできない』と金融セクターの側に立ち、東南アジア各国が経済破綻の瀬戸際に直面している時にそれを見捨てた。人々の生活よりも資本主義の原則を守るというグリーンスパンの判断が、今回の危機の伏線になったのである。」

「では、なぜそこまで資本主義の原則を守る必要があったのか。それは、先進国、なかんずく米国の人間が裕福な生活を送るのを止めたくなかったからだ。より少ない貯蓄でより多くの投資を生む。つまりレバレッジによって信用を創造することで、この10年間先進国は潤ってきた。米国、欧州、日本、アジアと地域や国によって事情はさまざまだが、結局我々がやってきたことはこれに尽きる。「少ない貯蓄でより大きな投資」、リーマンブラザースは破綻直前に、1ドルの資本に対して50ドルのレバレッジをかけていた。世界中のあらゆるバブルをつなぎ合わせた巨大なバブルを膨らませるために、このようなレバレッジが使われたのだ。」

「しかも、このようなレバレッジによる信用創造は、金融セクターのものだけではなかった。巨大なバブルに、人類が巻き込まれたのだ。そしてそれは今、まさに弾けようとしている。人々はその危険を悟り、今『より安定した経済』を求め始めている。」

「こうした壮大な金融経済の危機に対して、これまで各国の政府はまず『助ける(Rescue)』ことを考えてきた。中央銀行が猛烈な勢いでマネーサプライを増やし、弾けようとしているバブルに必死で空気を送り込んだのだ。これによっていったん、バブル崩壊の動きは食い止めることができた。アイスランド、イギリスなどかつての金融セクターの繁栄にのっかった国は、それでも酷い被害を受けることになったが、世界的に見ればこの中央銀行のサプライサイド政策は、当座の危機をしのぐには役に立った。」

「しかし、そもそもこのバブルの問題はグリーンスパンと米国の銀行が過剰な資金をあまりにも長いこと経済につぎ込みすぎ、その結果、消費者が『ちょっとしか貯蓄していないのにたくさん消費した』から起こったことだ。そのバブルが弾けるのを防ぐのに、短期的にサプライサイド政策を取るのはやむを得ないとしても、中長期的にはむしろ『バランスの再調整(Rebalancing)』が必要なことは明らかだ。そして、今世界各国は、それぞれの国ごとの事情はあれ、経済のバランス再調整の方向に向かっている。内需拡大だったり、貯蓄の奨励だったり。」

「その中で、今起きているのが、金融セクターに対する『規制(Regulation)』である。金融セクターが金融セクターだけでレバレッジだ、スワップだとやっている分には勝手だとみんな思ってきたが、気がついたら金融セクターのそうしたテクノロジーは、失敗した時にリアル・ビジネスの企業や個人を巻き込む"システミック・リスク"を抱えるようになってしまった。リアル・ビジネスが巻き込まれる話である以上、金融セクターが使う金融技術には安定性を担保する規制が必要だ。だから今、先進国が金融セクターの規制に動き出している。金融機関に対して、レバレッジのための元手(資本)の積み増しや、毎四半期の詳細な報告義務を課すといったことだ。」

「しかし、『バランスの再調整』のためにやるべきことは本当に『規制』なのか、それだけで良いのか?恐らく中長期的には、我々は金融セクター、または経済の仕組みそのものを『改革(Reform)』しなければならないだろう。その一つは、銀行の活動を企業や個人の実生活のための資金提供である"Utility"と、金融セクター内部で行う金融活動である"Risky"の2種類に明確に区分する、といったことだ。また、金融セクターの側だけでなく、実生活と直接つながっている企業や個人の側にも、こうした区分を求めていかなければならないだろう。我々は資本主義の原則を守るために資本主義を徹底するのではなく、実生活をよくするために資本主義経済を再定義すべきなのだ。」

■ 「病気なのは経済ではない、人類のほうである」

カナルス教授の話は、非常にシンプルな論理で語られているので、非常に早口ではありましたが金融の専門家でない僕にも何を言っているのかはだいたい分かりました。

ただ、聞いている間ずっと感じていたのは、「世界経済の話をしているのに、何だか妙に人の価値観や信念に対して言及する話しぶりだな」ということでした。上の概要にはあまり書いていませんが、90年代の英国の金融ビッグバンが人々の生活をどう変え、国がどうなったかなどを細かく話すなど、「仕組みではなく価値観が問題だ」というような論調が言葉の端々に感じられたのです。

その後、会場との間で質疑応答の時間になったのですが、興味深かったのはカナルス教授のシンプルな論理に対して、シンプルに疑問をぶつける人が(主に司会者の近くにいた人でしたが)何人かいたことでした。

ある人が「話を聞いていると、あなたは人々に資本主義的な成長の期待を捨てよ、と言っているように聞こえる。しかし、企業はある国の市場が魅力的だと思えば、その国の地場の企業が競争で潰れるとしても参入し、従業員の生活が悪化するとしてもコストを削減するだろうし、そうして利益を上げる企業に人々は投資するだろう。その行動原則と、あなたが言う『生活を大事にする』という方向性とは相容れないように思うが、あなたは世界経済の行く末にペシミスティック(悲観的)なのか?」と質問しました。

この質問は、非常に本質的なポイントを突いています。つまり、今回の経済危機が「我々自体の価値観の問題」なのであれば、金融セクターの規制だけでそれを乗り越えた秩序を作ることはできません。しかし、資本主義的価値観は現実には企業のありふれた事業活動のすみずみにまで行き渡っているわけで、価値観が問題だというならその日常的な「選好(preference)」を根本的にひっくり返さない限り、問題を解決はできないわけです。

カナルス教授はこの質問に対して、次のように答えていました。

「いや、私はむしろオプティミスティック(楽観的)だし、そうあるべきだと思っている。というのも、今我々が必要としているのは手術(surgery)で、手術の前に患者は医者に『私は本当に助かるんでしょうか?』と聞く。病名の分かっている医者は『もちろんです』と答えるわけで、つまり問題はその医師が病気を的確に把握しているのかどうかと、その言葉を患者が信用できるかどうかという、この2つにかかっているわけです。したがい、我々は問題点を把握しているし、それを解決できることを信じるべきです。」

これに対して会場からは、「病気なのは経済ではなく、人類のほうだ(Economy is not sick, man is sick.)」という、これまたずばり本質を突くような指摘の声が上がり、カナルス教授はじめ会場の人たちは苦笑しながら押し黙ってしまいました。

こうした、ある意味超巨視的なマクロ論かつ哲学論とも言える議論を、MBAスクールのトップとその回りの人たちが交わすのを見て、僕は少なからぬ感銘を覚えました。世界のトップレベルのマネジメントと対等に渡り合える人々は、こういう議論を普通に交わせるわけです。我々自身は、このレベルの議論をちゃんとこなせるだけの能力を、果たして日々磨いているのでしょうか?

カナルス教授と会場の質問者、どちらの方が正しいかはともかく、アルムナイ・カンファレンスにおける議論の応酬を見ていてそんなことを感じました。

■ トップMBAスクールになれた3つの理由

ところで、このイベントのちょうど1週間ほど前に、英国の経済誌The Economistが2009年の「世界MBAスクールランキング」を発表していたのですが、なんと!IESEはその中で、めでたく「世界第1位」に選ばれたのです。ちなみに2位はIMD、3位はBarkley(UCLA)、4位がBooth(Chicago)、5位がHBS。例年の上位常連のWhartonやTuck、LBSなどを抑えての堂々トップでした。

慶事を紹介した司会者に「カナルス教授からぜひ一言」と促されて彼が話した「1位になれた理由」というのが、これまたとても興味深かったのでご紹介します。彼曰く、理由は以下の3つ:

1) ミッションとビジョンの強さ
2) ファカルティやアルムナイのコミュニティの結束力
3) 企業との深いコネクション

1)はキリスト教の信仰に基づく「マネジメントの技術を世界に普及させる」という使命感、2)は世界中で年間300回以上も行われるアルムナイとファカルティのセミナー、3)はIESEの輩出する人材を使って高い成果を上げてくれた企業との信頼感、というのがカナルス教授の挙げた評価の理由でした。

結局のところ、確固とした価値観のあるコミュニティに根ざした組織は、やっぱり不況や変化にも強いよねと、こういうことなのかもしれません。我々も「ポスト金融資本主義」の世界において通用する、我々自身の価値観を磨き、大切にしていくべきなのだとしみじみ思いました。