ブログの紹介

このブログは、筆者が2008年にIESEのIFDP(現・IFP)に参加した時の日記と、その後2011年にEEC@Warsawに参加した時の日記を記録し公開するものです。それ以外に、海外渡航関連、あるいは海外ビジネススクール関連の記事も多少入っています。


                              2014年吉日

Entrepreneurshipのケースを作る

SshinimuktiEECには欧州各国のBSの教授が参加しています。今年は16カ国40人弱、とききました。ただ、今年はポーランドでの開催ということもあり、メンバーは東欧・南欧からの人が多いです。最大グループはマケドニアで、その他チェコスロヴェニアリトアニア、ロシア、トルコ、カザフスタンなどから来た人もいます。そのほか、私ともう1人シンガポールの南洋大(NanYang)から副学部長なるお偉いさんとが、アジアからの参加者。また欧州以外ということだと、HBSのWalter教授とのつながりで、NYのFordham大学というところから、学部長と事務局長さんの2人も参加されてました。右の写真は、そのナンヤン大の先生と、HBSのMukti教授との3人で撮ったものです。

さて3日目の今日は、午前中に3つのケース・セッションがあり、午後は3つのプレゼンを聴くという、非常にタイトな内容でした。以下に構成を書いておきます。

1.International Entrepreneurshipを教える (3)ディスカッションのコントロール
 講師:Prof. Mukti Khaire(HBS) ケース:Zotter: Living By Chocolate

2.サービス企業のInternationalization
 講師:Julia Prats(IESE) ケース:BrapoTech

3.International Entrepreneurshipを教える (4)シニア・エグゼクティブとEntrepreneurship
 講師:Walter Kuemmerle(HBS) ケース:Singulus

4.International Entrepreneurshipのシラバスをつくる
 講師:Sean Patrick Saßmannshausen(Wüppertal Univ.)

5.低シレジア地方の地域開発:ヴロツワフリサーチセンター(EIT)の役割
 講師:Milosław Miller(EIT)

6.Entrepreneurshipとベンチャーキャピタルを教える際の注意
 講師:Franklin Pitch Johnson(Venture capitalist、Stanford BS)

それぞれの内容について、感じたことをメモしておきたいと思います。

1.のセッションは、オーストリアのJosef Zotterという天才ショコラティエ(チョコレート職人)が興した、奇妙なチョコレートを作るベンチャーのケースです。ケース自体はとても面白く、これまでミルク・ホワイト・ダークの3種類しかなかったチョコレートにドライフルーツの粉や唐辛子粉、ケチャップなどを混ぜて新しいカテゴリのチョコを作り、カカオを遠心分離器にかけたり、フェアトレードのカカオしか使わなかったり、空気が暖かくなってチョコが溶ける7〜8月は生産を停止してしまったりする頭のイカレた人なのですが、世界で最もチョコの消費が多い(国民1人当たり年10kg)ドイツとオーストリアで、ハイエンドにもかかわらずチョコレート市場の5%近いシェアを取った。さて、Zotterはどうやってグローバル化すべきでしょうか、という内容です。ケースは非常に新しく、リリースは2010年4月です。

ケースセッションの前にMukti教授が話してくれたのですが、このケースは学生とともに書かれたケースで、クレジットのところにZotterの甥のHBS生の名前が書かれていました。彼女曰く、「HBSでは教授のアポインティーで、良いネタを持った学生を指名してケースライティングプロジェクトをさせることができる。その場合、学生は単位を得られる代わりに、ハードなリサーチワークを教授やリサーチスタッフと一緒にやらなければならない。ただ、学生にとってはHBSのケースのクレジットに自分の名前を残せるという名誉を得られるため、喜んで協力する場合が多い」とのこと。

HBSの科目リストに「ケースリサーチ/ライティング」という科目がないにもかかわらず、堀さんはじめ「HBSでケースライティングをやったよ」という人があちこちにいるのはどうしてなのかと思っていましたが、こういう理由だったのかと、初めて分かりました(笑)。確かに、入試の時のエッセイを読んでいると「この人のケースを書いたら面白いだろうな」と思う人がいるのですが、HBSはやはりそういう学生にちゃんとつばを付けておいて「一緒にケース書かない?単位になるよ」と一本釣りする仕組みを持っているのですね。

ケースセッションの方は、最初にZotterのビジネスシステムを整理したうえで、「Should Zotter be global?」というMukti教授の質問を皮切りに、参加者同士の大バトルが開始。不肖川上も米国の教授の「彼はアーティストだから、自分の作品の品質を維持することのほうがグローバル化より大事だ」という意見に対して、「アーティストっていうのは自分と自分の作品のことをより多くの人に認めてもらいたがっているものだ。今グローバル展開しなければ、日本や中国にZotterの偽物が次々現れるだろう。それならば彼の考える『チョコレートとはこういうものだ』という価値を示すために、積極的にグローバル展開すべきじゃないか」と、猛然と食ってかかってみました。反論される前に、ロシアの教授が「グローバル化するのとしないのとで、どちらにどんなメリットとデメリットがあるのか、定量的な分析もしてから決めた方が良い」と、なんだかよく分からない引き取り方をされて、バトルは終わってしまいましたが。

その後、「クラス内でどう白熱した議論を引き起こすか」「学生同士の議論が白熱した際に、それをどうコントロールすべきか」という話になりました。Mukti教授は沸騰する議論の中でもかなりしっかり発言者をコントロールしており、議論を引き取ったあとのまとめも割と穏便なものだったため、「きちんと議論をコントロールする」「話が逸れ始めたなと思ったら、勇気を持って講師自身も議論にjump-inする」「最後に示す妥当な結論を用意しておく」といった話には、誰も反論できませんでした。が、参加者からは「そもそもどうやって議論させるか分からない」といった声も出ており、個人的にはHBSとそれ以外の大学のケースメソッドの力量の圧倒的な差を感じさせるセッションでした。

ちなみにZotterは、自身は革新的なチョコレート作りだけに専念して経営やグローバル展開を誰かに任せれば良かったものを、経営自体も彼が握っているため、オーガニックやフェアトレードといった自然回帰思想にこだわりすぎ、なんと本社の近くに動物園を作ってしまったそうです。その動物園では、飼っている動物の肉をその場で食べられるようになっているとのことで、つまり「自然に育ち、自然から得たものだけを食べよう」というZotterの思想を体現する場所となっているとのこと。後日談を聞いた参加者たちは、みんなずっこけていました。

2.のセッションは、ポルトガルのモバイルサービスソフトウェアの会社のケースを使って、サービス企業がグローバル化するにはどうしたらよいかというテーマの議論をしました。

このケースは、昨日も書いたIESEの「Growing ventures」というコースの中で使われる「フォーカスケース」と呼ばれるショートケースで、ディスカッションが40分、レクチャーが10分、その後ビデオを見たり後日談ケースなどを読んで20分ほど使うという設計のケースですが、正直言って私には簡単すぎで、あまり使えそうもありませんでした。

このソフトウェア会社は、ITサービスとモバイルソリューションベンダーの2つの顔を持っており、グローバル化(つまり規模化)できるのはソリューションベンダーの方だけです。なので、何やらボードメンバーが「一番シェアの大きい業界向けサービスに注力するべき」とかアドバイスしたとか書いてあるので惑わされますが、冷静に考えれば業界云々ではなく「モバイルソリューション」に徹して規模化し、個別の企業向けのサービスが賄い切れないのであれば代理店を使うなどすれば良いとすぐに分かってしまいます。

セッションの後で、Julia教授に「Growing venturesは短いケースだけで構成されているんですか?」と聞いたら、「そんなことはない。短いケース、普通の長いケース、そしてゲストスピーカーのセッションなどを取り混ぜて、学生が飽きないようにしている」とのことでした。彼女が作ったショートケースは、確かに起業家のインタビュービデオなども付いていてビジュアルな面では面白そうなのですが、ケースそのものにあまり深みがないなあという感じがしました。

3.は、再びWalter教授のセッションで、ドイツのCD(コンパクトディスク)製造装置を作るベンチャーを買収するにあたって、ライバルの大手企業から転職してきた50歳のベンチャー企業の経営者を残すべきかどうかというケースをテーマにしたセッションでした。

参加者は皆、その経営者のことを「大企業のマネジャーを長年やってきた人に、ベンチャー企業の経営なんて無理」「仕事はしないが、役職と年金が欲しいに違いない」とか、結構ぼろくそに言うのですが、クラスの最後にその経営者のスピーチを見せられ、彼が非常に真剣に会社の将来と従業員の雇用のことを考えて意思決定しようとしていたことが分かり、「50歳でも大企業の経験が長い人であっても、アントレプレナーにはなれる」ということに気づくというクラス展開でした。ちょっとGでの使いどころが思いつきませんが、面白いケースだなと思いました。

また、ケースでシニアマネジメントの処遇について触れつつ、Walter教授は「シニアエグゼクティブをどうケースメソッドで教えるか」というのも、同時にいろいろと実演したりコツを教えてくれたりしていました。この人は本当に多芸多才な人だなあと感心しきりでした。

4.5.6.はケースセッションではなく、あまり目新しい話もなかったのですが、最後に30分だけ出てきたフランクリン・"ピッチ"・ジョンソンという人は、VCの世界ではめちゃくちゃ有名な人らしく、スタンフォード大に行ったことのある参加者が「え?あの、建物に名前が書いてあるピッチ・ジョンソン?!」と、激しく動揺してました(笑)。彼の話はなかなか含蓄があり、「ベンチャーファイナンスについて教える時には、必ずethicalな問いをクラス内で1つ、学生に問いかけるべきである」といったアドバイスを話していました。

Entrepreneurshipのさまざまな教え方

Sdscn3742今日は朝からランチを挟んで夜6時まで、3本のケースを含む5つのセッションが続き、かなり疲れました。が、非常に面白かったです。左の写真は、3番目のセッションの後で参加者の質疑に答えている、IESEのJulia Prats教授。この後、私も彼女のセッションについて少し質問をさせてもらいました。

さて、今日の5つのセッションは、次のような構成でした(各セッションのタイトルは、私が勝手に付けたものです):

1.International Entrepreneurshipを教える (1)ケースリードの基本
 講師:Prof. Walter Kuemmerle(HBS) ケース:Georgian Grass of Mineral Water

2.International Entrepreneurshipを教える (2)選択科目のプロモーション
 講師:Prof. Mukti Khaire(HBS) ケース:Globetrotters: Online Travel Agencies in U.S.A, India, China

3.Entrepreneurship領域において、研究と教育を結びつける
 講師:Julia Prats(IESE) リーディング:'Growing Challenges' - Teaching Note

4.International Entrepreneurshipを教える (3)成長企業のカオスの理解
 講師:Walter Kuemmerle(HBS) ケース:International Securities, Inc.

5.ポーランドの著名起業家、Graham Webb(プロ向けヘアケア製品で世界トップのブランドの創業者)のスピーチ

どれも興味深い内容でしたが、特に面白かった1.2.3.について少し感想メモを書いておこうと思います。

1.のケースは、Walter教授が「Long lasting case」と自賛していましたが、確かに非常に良くできたケースでした。参加していた教授の中にも、自分の教えているEntrepreneurshipのコースの最初にこのケースを使っている、という人がいました。

ケースの舞台は2000年のグルジアで、旧ソ連領内ではコカコーラよりも有名な「ボルジョミ」という伝説の泉の水を売るベンチャーを設立した企業に、フランス人の途上国ビジネスのプロがCEOとして雇われる、という話です。すごいブランドのある有望なベンチャーだと思ってきてみたら、工場設備はボロボロでしかもグルジア政府の所有(財産権があいまい)、毎日のように国営企業時代の債権者(と称する地元のマフィア)がカネをたかりに来るわ、従業員はマネジメントの目を盗んで商品や燃料などを盗むわ、ロシア国内では急速に偽物が出回り始めるわ、グルジア政府もなぜか独占使用権を認めていたはずの泉の水とそのブランドを(政府関係者にごねた)他の業者にも利用させる始末。しかも冬にはロシア向けの輸送コストがなぜか4倍に跳ね上がるという、いろいろ頭痛のネタが絶えない状況で、各種の対応に必要な資金をいくつかある金融機関のどこから調達すべきか?というテーマのケースです。

セッションは、Walter教授がケースプレゼンをしながら、途中で止めて「ここで何を学ばせるか、そのためにどうしてこういうファシリテーションをするのか」といった解説や質疑応答を入れながら進めるという、「ケースの議論」「ケースから学ぶことの議論」「学ばせるための方法論の議論」という3つのレイヤーがかわるがわる論点になるという非常にややこしい方法で展開されましたが、さすがWalter教授、すごく分かりやすかったです。

このセッションでの私にとってのTake awayは、2つめのレイヤーの話で、International Entrepreneurship(というかEntrepreneurship)のLPとして、「どんなに情報が不足していても、さまざまな仮定を置きながら投資とリターンの定量的評価はしなければならない」というものがあることでした。市場機会の判断から企業価値算定まで、近隣諸国やそこでの類似企業を用いたcountry contextの分析が重要なカギを持つ、ということです。

特にこの手の低開発国のビジネスにおいて問題となる政府の汚職について、「それ(汚職に対してカネで解決しようとすること)が良いか悪いかといった倫理的な議論は、起業家の視点からは意味をなさない。汚職も市場機会の大小を定義する1つの要素に過ぎないからだ」というWalter教授のコメントは、(例によって参加者同士の議論も引き起こしていましたが)汚職を正面から取り上げることのほとんどない我々にとって、日本以外のアジア諸国へビジネスを持っていこうとする学生にとって重要な示唆になり得ると思いました。

2.は、グロービスのケースも書いたMukti Khaire教授による、HBSのIEの最初の講義の再現です。HBSでは2年次選択科目の最初の講義は、どの科目に登録するか品定めする学生に公開される「デモンストレーション」です。なので、たった2〜3ページで簡単に読めて討論に参加でき、しかもその科目の全体像と奥行きが分かるケースを用意しなければなりません。

「Globetrotters(世界を旅する人)」というタイトルのこのケースは、まさにIEのイントロダクションにふさわしいケースで、米国、インド、中国の3つの国のネット旅行代理店(OTA)がいくつか紹介され、「なぜ世界のOTAは単一の巨大なExpedia(米国最大のOTA)に集約されないのでしょうか」という設問だけが付いています。

参加者は最初、思いつく設問の答えを言いながらも、「そもそもこの設問自体がおかしいのでは?『単一の巨大なOTA』とは、U/Iレベルのことを言っているのか、それとも消費者と旅行商品と決済システムとをマッチングさせるDBシステムのことを言っているのか?」「Expediaは既に米国以外の2つの国の2位以下のOTAを買収している。つまり資本の論理で言えば既に『単一の巨大なExpedia』は出現し始めているとも言えるが、ここではExpediaはなぜ各国の1位の企業を買収できないのかという問いに答えないといけないのか?」などと考え始めます。そして、全員がだんだん議論の論点が定まっていないことに不安を感じ始めます。

Mukti教授はそこで議論を止め、こう問いかけます。「今の議論から、何が分かりましたか?」 そう、世界は単一の巨大なExpediaの支配する市場ではない。そのこと自体は、ケースを読めば分かる話。でも、それにはさまざまなレベルの「理由」がある。国ごとに文化やインフラ普及の度合い、政府の規制などの表面的な部分から、そこで産業が持ちうる競争優位性のバリエーションとその源泉、そしてそこでの起業家の果たす役割と価値評価など、多くの理由で「世界は単一ののっぺりした場所ではない」。だから、あなたがた学生にはまだまだいくらでも起業の可能性がある。Mukti教授は、リーマンショックの後で投資銀行やコンサルファームなどの就職先を失って呆然としているMBA学生たちに向かって、そう呼びかけたのだそうです。

私にとってのTake awayは、「クラスにおいて論点をありったけ広げるためだけにケースを用いる」という使い方を、初めて見たということです。まさにGlobetrottersというタイトルの通り、ケース・ディスカッションを通してさまざまなお国柄・企業のありさま・起業家の思いといったものが、クラス中からわーっと出てきて、それを聞いているだけで起業家として世界中を旅している気持ちになります(笑)。カギは、クラス内にそれだけの国際的な多様性を引き出せる人がいること、それを(特にケース議論の解題から)うまく引き出し、「世界にはまだまだたくさんのチャンスがある、あなた方が起業家としてそのチャンスを掴むことができる」というメッセージにどうつなげられるかというところでしょう。

ちなみにそれについて、クラス内で「どのようにして学生の持つcontextをクラス内で引き出すのか」とMukti教授に質問してみましたが、あまり明確な答えは返ってきませんでした。

3.は、私を今回のカンファレンスに参加させてくれたIESEのJulia Prats教授のセッションで、ケースではなく彼女がこの5年間にわたって(EECのために)開発してきた、IESEの新たなEntrepreneurship系科目「Growing Ventures」のコンセプト、そしてその研究のプロセスについて解説・紹介するというものです。

HBSのWalter/Mukti両教授の、非常に「経営戦略」的なアプローチ(International Business、Entrepreneurshipの両方のこれまでの研究のパラダイムフレームワークから、IEの理論的仮説を編み出してそれを膨大なケースリサーチによって検証していく)に対して、Juliaのアプローチは「死にかけているベンチャーに対してEntrepreneurはどのようなアプローチを取るのか、それはなぜか?」というシンプルな問いを立て、それを10人以上のEntrepreneurにインタビューしていくことで明らかにしようとするものでした。

インタビューから明らかになった、「再起できるベンチャーの条件や再起のプロセス」みたいなエッセンスはあるのですが、Walter教授のスタンスとは違って帰納的に導かれた法則なので、聞けば「そうだね」とは思うものの、これまでさんざん言われてきた「Entrepreneurとはかくあるべし」みたいな教訓話と何が違うのかあまり分からない内容でした。

しかしもちろん、このセッションの良さはそういうエッセンスの理論的厳密性にではなく、実際に彼女とアシスタントのリサーチスタッフとがインタビューした起業家たちの迷い、苦しみ、決断、喜びのありさまにあります。このプログラムは、長いケースを読んでこないMBA学生のために、エッセンスだけを書いた短いケースと、そこで起業家がどんな思いで何を考え、決断を下したのかを説明したBケースと、その本人のインタビュービデオという教材構成になっていて、まるで「プロジェクトX」の参加型討論番組を22回繰り返して受けられるクラスのような仕立てです。これは楽しそうだなと思いました。

ビジネスプランや資本調達計画を立てさせるのではなく、転んでも転んでも立ち上がり続ける起業家のメンタリティを学生に感じさせようとする彼女のアプローチは、Gのカリキュラムで言うと「ベンチャー・マネジメント(VTM)」に似ています。セッションの後、彼女のところに行き、Gの創造系のカリキュラム構成を簡単に説明した上で、「IESEのEntrepreneurship領域はどのようなカリキュラム構成になっていて、その中でこのGrowing Venturesはどういう位置づけで導入されたの?」と聞いてみましたが、「もともとはビジネスプランを立てさせる科目の中に、こうした起業家の生き方、パーソナリティに関するセッションも入れてあったが、今回それを1つの科目として独立させ、ビジネスプラン作成とは別にした」との答えが返ってきました。

ちなみにIESEのこのGrowing Venturesでは、22回のセッションの裏側に、IESEがアレンジしたいくつかのベンチャー企業の経営者へのインタビューやリサーチというフィールドワークのプロジェクトが走るそうで、リサーチスタッフのMarcは「そのリサーチの中でまた新しい発見がいろいろあり、それを元に作った教材を翌年のコースにまた追加する」と話していました。まさに今、我々がEBZで試みているのと同じアプローチです。

ただ、この方法(クラス内で学生にやらせるフィールドスタディを、教材開発の場としても位置づける)は、Growing Venturesという科目が年1回しか開講しないフルタイムMBAにおける科目であることや、教鞭を執るJulia教授に加えて、調査対象のベンチャー企業の探索・アレンジにかかわる専任のリサーチスタッフが配置されているといった、Gにはないさまざまな要件があってこそ成り立つ仕組みでもあると感じました。

なお、最後の4.のセッションでは「日本人のように、それなりによくできるのに授業中まったく発言しない学生に、どうやってクラスへ参加を促せば良いか」というテーマでのディスカッションがあり、私が「えーと、毎日日本人学生だけを教えている者ですが…」と前置きしたら、なぜか大爆笑が取れました(笑)。ケースセッションで発言はこれまでにも何度もしていますが、大受けが取れたのは初めてです。その後、あちこちで「さっき面白いこと言った日本人だね?」といろんな人に声をかけられて、夕食などで会話が弾みました。

以上、今日の感想と報告でした。

EEC2011始まりました

Sdscn3733今日からしばらく、ポーランドワルシャワの郊外にて開かれているEEC2011(European Entrepreneurship Colloquium)の参加記録を書き留めていきたいと思います。

初日は、4時から開会し、5時15分から6時45分までの1時間半、今回のColloquiumのメインプレゼンターであるHBSのWalter Kuemmerle教授から、「International Entrepreneurship as a Promising Field for Research and Training(研究と教育の将来有望な分野としての国際的起業論)」と題する基調プレゼンがありました。そして、その後7時から近隣のレストラン(幼稚園?)のようなところに行って、レセプションパーティーでした。

ワルシャワ空港からバスで会場に着いたのが3時30分過ぎだったこともあり、少し汗を流してからでいいや、と思っていたら4時からの開会にうっかり10分ほど遅れてしまいました。まだ冒頭で主催者のEFER(European Foundation for Entrepreneurship Research)のYupar Myint教授があいさつをしている最中だったうえ、私と同じようにシンガポールの南洋大学から来ていた教授も遅れて参加したので(笑)、あまり会場の注目は浴びませんでしたが、2重のコの字に配置された席の外側はすでに埋まっており、内側の小さいコの字の席に座ることになりました。

Yupar教授に続いて、EFERの偉い人が何人か「Entrepreneurshipとは何か、EECに参加される皆さんに求められることは何か」みたいなあいさつスピーチをした後、Walter教授のプレゼンがスタート。HBSの教授らしい、早口で精悍な、でもすごく聞き取りやすい英語で話が始まりました。この彼の話が、本当にEntrepreneurshipらしい、聞いていて楽しい、でも勇気あふれる気持ちになるものでした。この話を聞くだけでも、EEC2011に来られて良かったと思ったぐらいです。

Walter教授の話はとても楽しかったのですが、プレゼンの下敷きになった彼のInternational Entrepreneurshipの説明やそのコースストラクチャ以外の話題で、記憶に残っていることを箇条書きにしておきます。

  • 自分のバックグラウンドはファイナンス理論と経営戦略で、皆さんもご存じのMichael Porterが論文の指導教授だった。HBSで「International Entrepreneurshipを教えてくれ」と言われるまで、Entrepreneurshipについて勉強したことも、もちろん経営の経験もなかった。90年代後半、31歳の時だった。
  • それでEntrepreneurshipについて研究を始めたが、この領域は「タマネギの皮をむく」ような領域である。つまり、教えている内容からMarketing、Strategy、Leadership、Finance、Managerial Accounting、、、と、経営学の要素をはぎ取っていくと、実は何も残らない。それらを全部寄せ集めて、「Entrepreneurに関する〜〜」と題したものが、Entrepreneurshipという領域の実態。
  • だから、アカデミアの世界では例えばFinanceを研究して新たなValuationの手法を開発して論文に書くほうが、Entrepreneurshipの話で本を書くよりもずっと評価が高くなる。それでもEntrepreneurshipにコミットするとしたらなぜか。それは、「まだ誰もこの領域について本や論文を書いていない」、だから我々にも世界的に有名になれるチャンスがあるということだ。
  • Entrepreneurshipはさまざまな分野の融合した領域だ。私はファイナンスと経営戦略だが、明日ケースプレゼンするKhumarは社会学が専門だ。今日集まっている皆さんにも、マーケティング、マクロ経済、テクノロジーなど、さまざまなバックグラウンドの人がいる。だから、皆さんはEntrepreneurshipの幅広いSpectrumの中から、自分に合っていると思う意見や議論をつまみ食いすれば良い。
  • Entrepreneurshipに関する研究は、1920年代のシュンペーターがその始まり。ただ、彼はマクロ経済における起業家の役割について述べたが、実際のEntrepreneurは自分たちがマクロ経済において有効だからとかそんなことを考えて起業するわけではない。そこで1960年代以降、「人が起業家になるのは、彼がそういう性格の人間だからだ」という、人格性についての議論が出てきた。また、85年頃からベンチャーキャピタルという組織が生まれ、シードからアーリーステージの企業向けに特化した一連のファイナンスの理論が出現した。
  • 1990年代以降、人格によってEntrepreneurを定義する人々に代わり、Entrepreneurshipのcontextを問題にする人々が出てきた。なぜかというと、「国によって極端に起業家の出現頻度が異なる」ことが、国際比較研究の中で分かってきたからだ。つまり、人は性格的にそうだから起業家になるのではなく、さまざまな環境要因の中で起業家になるのではないか、ということだ。また、私が99年に世界で最初のInternational EntrepreneurshipというコースをHBSで始めたが、その頃から国境を越えたcontextを利用する起業家、という存在が議論の俎上にのぼるようになった。2007年から、「Strategic Entrepreneurship Journal」という学術誌も創刊され、戦略についての議論もされるようになってきた。
  • ただし、実際のところ、中小企業(SME)に戦略はない。私は本当はSMEが嫌いだ。それはたいていの場合、政府の補助金と結びついた世界に安住していて、Entrepreneurshipとは対極にいるからだ。Entrepreneurは1つの戦略に固執しないという特徴を持つが、Growthを目指さないただのSMEには戦略そのものがない。
  • 私は10年間HBSで働いたが、やがてアカデミアの枠に限界を感じるようになって、結局そこを辞めた。今はいくつかのベンチャーキャピタルベンチャー企業のアドバイザーをしながら、HBSや大企業の研修などをやっている。ケースベースで論文を書くのは、ただの論文を書くのに比べてずっと難しい。だが、論文を書けばそこで終わりのアカデミアよりも、私は実際のベンチャーやEntrepreneurshipを身につけたいと思う人たちと一緒になって、そのネットワークを結びつける役割を果たすことのほうに、より意義を感じるようになったということだ。
  • Entrepreneurshipを教えるために必要な要素は4つある。Tools(ケースとか、フレームワークとか)、Judgement(何をEntrepreneurshipと定義するかの判断)、Network(Entrepreneurたちとの人脈)、そしてFun(自分がこの領域にかかわること、それを教えることで楽しんでいること)だ。
  • アカデミックの中でEntrepreneurshipにかかわっていこうとされている皆さんへ。Entrepreneurship、中でもInternational Entrepreneurshipは、とてもpromisingな領域です。Entrepreneurshipの教授はときどき学内で変な目で見られることがあるが、International Entrepreneurshipの教授は、もっとそうだから(笑)。しかし、この領域は学内では異端かもしれないが、大学という枠組みを超えて、こうして世界中とつながっている。統計的に見て、International Entrepreneurの成長率はDomestic Entrepreneurよりも高い。そして、MBAホルダーこそがこの分野の担い手だ。彼らはInternational Entrepreneurとなるべく生まれてきた人たちだからだ。
とまあ、たくさんのユーモアを交えつつも、非常に勇気づけられる話がばーっとたくさんありました。特に彼がIEのコースを担当するまではEntrepreneurshipについて研究したことも、もちろんベンチャー企業やキャピタリストをやった経験もなかったというのは、非常にimpressiveでした。彼は「Entrepreneurは自分で自分の経験を客観視し、相対化することは苦手。だからこそアカデミックな分析や研究が非常に重要になる」とも話していました。

夜のレセプションパーティーでは、主催者のYupar教授、ドイツのライプツィヒから来たAugstinと、ノルウェーのトロムソ大学から来たElin、オランダのEindhovenから来たYingなどと話をしながら食事ができました。日本のEntrepreneurshipについて「今日のWalterの話を聞いて、日本のcontextが非常に難しいことを改めて感じた」と話すと、Yupar教授が「英国もそうよ。優秀な人は米国の大企業に入るから、Entrepreneurと言えば企業に雇ってもらえない重大な欠点のある人や失業者と相場が決まっている」と嘆いていました。Yupar教授自身、ビルマ人ですが高校まではタイで育ち、その後英国に来て、ドイツ人の夫と結婚して…という、微妙に「異端」な人生を送っている人なので、たぶんEntrepreneurに対するシンパシーがあるのでしょう。

彼女と話すことで、Entrepreneurshipを教えなきゃ!と思う人たちの結束力、団結力はとても強いけれど、社会的に見て常に「異端者」扱い、冷や飯食らいというのが日本だけの話でもないのだなということで、またまた勇気づけられた(笑)次第です。

講演録「経済危機を超えて〜安定したグローバル経済の構築」

091029_iesealumni_tokyo昨日(10月29日)に、IESEの東京アルムナイカンファレンスが開かれました。場所は赤坂見附近くの、某外資企業の会議室という、こぢんまりした場所で、日本人と外国人が半々程度、30人ほどが集まりました。私がIESEのアルムナイ・カンファレンスに参加するのは、今年2月の「社会起業家」に関する回以来、2回目です。今回は学部長(Dean)のDr. Jordi Canals教授が来日して話してくれるということで、非常に楽しみにしていました。

カナルス教授の今回の講演のタイトルは"Beyond the financial crisis: Building a more stable global economy"(金融危機を超えて〜安定したグローバル経済の構築)という、なかなか壮大なテーマでした。それをたった1時間程度の講演でどんなふうに話してくれるのか??興味津々でしたが、講演内容とその後の質疑応答ともに非常にシンプルで分かりやすく、しかも本質を突いた興味深いものでしたので、少し自分の理解も整理しながら備忘録的にここに書き残そうと思います。

カナルス教授の話はいつものようにかなり早口で、内容はシンプルなのですがすごい量の重要な話をたくさんしゃべりまくるので、いつもの「超訳」的メモが起こせませんでした。ただ、話の流れやキーワードは拾ってメモしてあるので、まずは講演の概要から。以下、カナルス教授のしゃべったふうにまとめます。

■ 今求められているのは、経済のRebalancing(再調整) & Reform(改革)

「今起こっている事態はそもそも何なのか、なぜ起きたのか。The Economist誌が『The World on the Edge』(崖っぷちに立つ世界)というタイトルの特集を組んだ。非常にシンプルに言えば、結局それは『バブルがたくさん集まって、大きなバブルになった』ということだ。住宅バブル、債券バブル、サブプライム・バブル、ITバブル、信用バブル、etc. さまざまなバブルが金融セクターの技術によってつなぎ合わされ、大きなバブルになった。そして、それが弾けたらグローバル規模で金融機関や企業、個人がみんな巻き込まれ、経済が破綻してしまうという事態が生じた」

「このような事態の原因を作ったのは、一つには米国のFRB(連邦準備銀)総裁だったアラン・グリーンスパンである。グリーンスパンは97年のアジア経済危機の時、『資本移動にむやみな規制をかけることはできない』と金融セクターの側に立ち、東南アジア各国が経済破綻の瀬戸際に直面している時にそれを見捨てた。人々の生活よりも資本主義の原則を守るというグリーンスパンの判断が、今回の危機の伏線になったのである。」

「では、なぜそこまで資本主義の原則を守る必要があったのか。それは、先進国、なかんずく米国の人間が裕福な生活を送るのを止めたくなかったからだ。より少ない貯蓄でより多くの投資を生む。つまりレバレッジによって信用を創造することで、この10年間先進国は潤ってきた。米国、欧州、日本、アジアと地域や国によって事情はさまざまだが、結局我々がやってきたことはこれに尽きる。「少ない貯蓄でより大きな投資」、リーマンブラザースは破綻直前に、1ドルの資本に対して50ドルのレバレッジをかけていた。世界中のあらゆるバブルをつなぎ合わせた巨大なバブルを膨らませるために、このようなレバレッジが使われたのだ。」

「しかも、このようなレバレッジによる信用創造は、金融セクターのものだけではなかった。巨大なバブルに、人類が巻き込まれたのだ。そしてそれは今、まさに弾けようとしている。人々はその危険を悟り、今『より安定した経済』を求め始めている。」

「こうした壮大な金融経済の危機に対して、これまで各国の政府はまず『助ける(Rescue)』ことを考えてきた。中央銀行が猛烈な勢いでマネーサプライを増やし、弾けようとしているバブルに必死で空気を送り込んだのだ。これによっていったん、バブル崩壊の動きは食い止めることができた。アイスランド、イギリスなどかつての金融セクターの繁栄にのっかった国は、それでも酷い被害を受けることになったが、世界的に見ればこの中央銀行のサプライサイド政策は、当座の危機をしのぐには役に立った。」

「しかし、そもそもこのバブルの問題はグリーンスパンと米国の銀行が過剰な資金をあまりにも長いこと経済につぎ込みすぎ、その結果、消費者が『ちょっとしか貯蓄していないのにたくさん消費した』から起こったことだ。そのバブルが弾けるのを防ぐのに、短期的にサプライサイド政策を取るのはやむを得ないとしても、中長期的にはむしろ『バランスの再調整(Rebalancing)』が必要なことは明らかだ。そして、今世界各国は、それぞれの国ごとの事情はあれ、経済のバランス再調整の方向に向かっている。内需拡大だったり、貯蓄の奨励だったり。」

「その中で、今起きているのが、金融セクターに対する『規制(Regulation)』である。金融セクターが金融セクターだけでレバレッジだ、スワップだとやっている分には勝手だとみんな思ってきたが、気がついたら金融セクターのそうしたテクノロジーは、失敗した時にリアル・ビジネスの企業や個人を巻き込む"システミック・リスク"を抱えるようになってしまった。リアル・ビジネスが巻き込まれる話である以上、金融セクターが使う金融技術には安定性を担保する規制が必要だ。だから今、先進国が金融セクターの規制に動き出している。金融機関に対して、レバレッジのための元手(資本)の積み増しや、毎四半期の詳細な報告義務を課すといったことだ。」

「しかし、『バランスの再調整』のためにやるべきことは本当に『規制』なのか、それだけで良いのか?恐らく中長期的には、我々は金融セクター、または経済の仕組みそのものを『改革(Reform)』しなければならないだろう。その一つは、銀行の活動を企業や個人の実生活のための資金提供である"Utility"と、金融セクター内部で行う金融活動である"Risky"の2種類に明確に区分する、といったことだ。また、金融セクターの側だけでなく、実生活と直接つながっている企業や個人の側にも、こうした区分を求めていかなければならないだろう。我々は資本主義の原則を守るために資本主義を徹底するのではなく、実生活をよくするために資本主義経済を再定義すべきなのだ。」

■ 「病気なのは経済ではない、人類のほうである」

カナルス教授の話は、非常にシンプルな論理で語られているので、非常に早口ではありましたが金融の専門家でない僕にも何を言っているのかはだいたい分かりました。

ただ、聞いている間ずっと感じていたのは、「世界経済の話をしているのに、何だか妙に人の価値観や信念に対して言及する話しぶりだな」ということでした。上の概要にはあまり書いていませんが、90年代の英国の金融ビッグバンが人々の生活をどう変え、国がどうなったかなどを細かく話すなど、「仕組みではなく価値観が問題だ」というような論調が言葉の端々に感じられたのです。

その後、会場との間で質疑応答の時間になったのですが、興味深かったのはカナルス教授のシンプルな論理に対して、シンプルに疑問をぶつける人が(主に司会者の近くにいた人でしたが)何人かいたことでした。

ある人が「話を聞いていると、あなたは人々に資本主義的な成長の期待を捨てよ、と言っているように聞こえる。しかし、企業はある国の市場が魅力的だと思えば、その国の地場の企業が競争で潰れるとしても参入し、従業員の生活が悪化するとしてもコストを削減するだろうし、そうして利益を上げる企業に人々は投資するだろう。その行動原則と、あなたが言う『生活を大事にする』という方向性とは相容れないように思うが、あなたは世界経済の行く末にペシミスティック(悲観的)なのか?」と質問しました。

この質問は、非常に本質的なポイントを突いています。つまり、今回の経済危機が「我々自体の価値観の問題」なのであれば、金融セクターの規制だけでそれを乗り越えた秩序を作ることはできません。しかし、資本主義的価値観は現実には企業のありふれた事業活動のすみずみにまで行き渡っているわけで、価値観が問題だというならその日常的な「選好(preference)」を根本的にひっくり返さない限り、問題を解決はできないわけです。

カナルス教授はこの質問に対して、次のように答えていました。

「いや、私はむしろオプティミスティック(楽観的)だし、そうあるべきだと思っている。というのも、今我々が必要としているのは手術(surgery)で、手術の前に患者は医者に『私は本当に助かるんでしょうか?』と聞く。病名の分かっている医者は『もちろんです』と答えるわけで、つまり問題はその医師が病気を的確に把握しているのかどうかと、その言葉を患者が信用できるかどうかという、この2つにかかっているわけです。したがい、我々は問題点を把握しているし、それを解決できることを信じるべきです。」

これに対して会場からは、「病気なのは経済ではなく、人類のほうだ(Economy is not sick, man is sick.)」という、これまたずばり本質を突くような指摘の声が上がり、カナルス教授はじめ会場の人たちは苦笑しながら押し黙ってしまいました。

こうした、ある意味超巨視的なマクロ論かつ哲学論とも言える議論を、MBAスクールのトップとその回りの人たちが交わすのを見て、僕は少なからぬ感銘を覚えました。世界のトップレベルのマネジメントと対等に渡り合える人々は、こういう議論を普通に交わせるわけです。我々自身は、このレベルの議論をちゃんとこなせるだけの能力を、果たして日々磨いているのでしょうか?

カナルス教授と会場の質問者、どちらの方が正しいかはともかく、アルムナイ・カンファレンスにおける議論の応酬を見ていてそんなことを感じました。

■ トップMBAスクールになれた3つの理由

ところで、このイベントのちょうど1週間ほど前に、英国の経済誌The Economistが2009年の「世界MBAスクールランキング」を発表していたのですが、なんと!IESEはその中で、めでたく「世界第1位」に選ばれたのです。ちなみに2位はIMD、3位はBarkley(UCLA)、4位がBooth(Chicago)、5位がHBS。例年の上位常連のWhartonやTuck、LBSなどを抑えての堂々トップでした。

慶事を紹介した司会者に「カナルス教授からぜひ一言」と促されて彼が話した「1位になれた理由」というのが、これまたとても興味深かったのでご紹介します。彼曰く、理由は以下の3つ:

1) ミッションとビジョンの強さ
2) ファカルティやアルムナイのコミュニティの結束力
3) 企業との深いコネクション

1)はキリスト教の信仰に基づく「マネジメントの技術を世界に普及させる」という使命感、2)は世界中で年間300回以上も行われるアルムナイとファカルティのセミナー、3)はIESEの輩出する人材を使って高い成果を上げてくれた企業との信頼感、というのがカナルス教授の挙げた評価の理由でした。

結局のところ、確固とした価値観のあるコミュニティに根ざした組織は、やっぱり不況や変化にも強いよねと、こういうことなのかもしれません。我々も「ポスト金融資本主義」の世界において通用する、我々自身の価値観を磨き、大切にしていくべきなのだとしみじみ思いました。

講演記録「グローバル市場のパートナーとしての社会起業家」

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川上です。1月23日夜に、IESEの東京アルムナイ・カンファレンスが開かれました。今回、IESEから私が昨年のIFDPで「コースデザイン」のセッションでもお世話になった、Johanna Mair教授の「社会起業家」に関するプレゼンテーションが行われました。それについての簡単なご報告と、私の感想を述べたいと思います。

英語に関しては半年以上ブランクが空いてましたので、ダメなヒアリングがさらにダメになって半分程度しかまともに聞き取れていませんでしたが、スライドの英語も見ながらメモった「超訳」でお送りします。

ちなみに、今回のMair教授は、24日の東工大主催の国際シンポジウムに出席するために来日したのですが、そちらのイベントは昨年12月に開催が告知されて、ほぼ1週間程度で満席になってしまったそうです。なので、今回IESEでの講演を聴くことができて、非常にラッキーでした。



【講演の抄訳】

皆さん、こんばんは。今日はお招きいただいてありがとうございます。IESEではなく日本政府のお金で日本に来られたのでとても嬉しいです(会場笑)。明日はアカデミックの人が多いのでそういう内容でしゃべるつもりですが、今日はビジネススクールの人たちがメインなので、企業との関係、および社会や環境問題へのインパクトについてしゃべります。

社会起業家は確かに今、トレンディだ。エスタブリッシュメントからも注目を集め、ちょうど来週から開かれるダボス会議では、社会起業家のパネルも行われることになっている。

では社会起業家とはいったい誰のことなのか?今「社会起業家」と呼ばれる人たちが、過去にビジョナリーや社会活動で著名な人たちと異なる「新しさ」とは何なのだろうか。

私は、それを「企業や組織の問題ではなく、社会的変革を動機とした事業を起こす人たち」と定義している。社会的な、というのは、営利を目的としない、という意味ではない。それを包含した「社会的富の創出」を目的とすること。社会的起業の成功の評価基準には、利益だけでなく、より多くの貧しい人を救ったとか、雇用を創出できた、といったことが含まれる。

社会的起業家の戦略は、多くの場合途上国の絶対的な貧困に対してフォーカスされている。これらの国の「貧困」というのは、先進国で事業をおこす場合の課題とは質が異なる。我々が通常ビジネスをする時、消費者にいかに他社の製品ではなく自社の製品を買ってもらうかを考える。これは消費者に(たとえ貧困層といえども)一定の可処分所得があり、それを奪い合うからだ。しかしたとえばバングラデシュでは、人口の半分以上が1日あたりの所得が平均$1以下しかない。つまりそもそも自社だろうが他社だろうが製品を購買する能力(ability to pay:ATP)がないのだ。したがって、社会起業家は、この「ATPがない人々」をどのようにビジネスモデルに組み込むのかという、まったく発想を変えなければいけない問題を解く必要がある。フォーカスされるのは「欲求(Wants)」ではなく、生きるのに最低必要なニーズ(Basic Human Needs)である。

社会起業家の戦略として挙げられるのは3つのビジネスモデル。「integrated(複合・融合)」、「symbiotic(共生)」、そして「complementary(相互補完)」1つめはインドの病院、2つめはバングラデシュの通信、3つめは同じくバングラデシュの農業を例に紹介する。

インドの病院「Aravinds」の事例。インドには4000万人の失明者がいる。彼らは近視や乱視などの適切な治療が受けられず、結果的に視力が使えない人になる。彼らにコンタクトレンズなどを投与できれば良いが、弱視者の47%がまったくATPがない。そこでAravindsは「タダ」で眼科治療を行った。しかし資金を寄付などに頼ったのではあっという間に尽きてしまう。そこでAravindsは病院の横に「AuroLab」というコンタクトレンズの工場を作り、先進国で$150するコンタクトレンズを$2で生産できるようにした。そして、この工場で生産されたコンタクトレンズの一部を先進国市場で販売して利益を上げ、その利益で「タダの眼科治療」病院を維持できるようにした。現在、AuroLabはコンタクトレンズ以外にも、手術用の縫い針や補聴器といった医療機器を生産し、先進国に向けて輸出して利益を上げている。

Aravindsがには先進国から眼科医を志す研修医(residents)がたくさんやってくる。というのも、眼科治療には多くの臨床経験が必要だが、Aravindsでは年間2百万人の診察と22万人の視力回復手術を行っているからだ。またコンタクトレンズも、すぐ横にこの規模の需要があるからこそ、わずか$2のコストで作ることができる。この結果、AuroLabのビジネスは60%の利益を生み、他の国へも急速に展開されつつある。製造(AuroLab)とサービス(Aravinds)の拠点とが融合し、相互にメリットを与えているからこそ成り立つビジネスモデル。

2つめ、バングラデシュにおけるテレノール(ノルウェーの電話会社)と農村部のマイクロファイナンスで知られるグラミン銀行の合弁事業の事例。(この事例は、元Gの東方さんが『グラミンフォンという奇跡』という書籍を翻訳していますので、詳しくは以下のURLの本をどうぞ。http://www.amazon.co.jp/dp/4862760139

テレノールは、バングラデシュに携帯電話事業を立ち上げるに当たり、都市部のミドル層をターゲットにした収益モデルの会社「グラミンフォン」と、農村部で村に1台の携帯電話を使って電話サービスを提供する「電話屋」の事業を行う人々を組織するグラミン銀行との合弁会社(ただし非営利)「グラミンテレコム」とを立ち上げ、この両方を使って全国規模の携帯通信網で利益を出す仕組みを作った。グローバル市場からの資金調達とリターンを生み出すのはグラミンフォンの役割、バングラデシュ国内の(特に農村部での)電話サービス普及を担うのはグラミンテレコムの役割。2つのまったく異なる市場に対し、まったく異なる組織原理を持つ2つの会社を組織し「共生」させることで、人口の90%以上が携帯電話を買う資金さえ持たない最貧国での携帯電話事業に成功した。

3つめは、同じバングラデシュでの有機農法による農業指導「MapAgro」の事例。バングラデシュの首都ダッカでは、1100万人の人口が生み出すゴミの山で大変なことになっている。廃棄場所も適切な焼却処分などの施設もないため、メタンガスなどの臭気を吐き出し、害虫や伝染病など環境悪化の元凶となっていた。

この廃棄物の80%は有機物であることに目を付けたのが、MapAgro。彼らは都市部に「WasteConcern」というNGOを組織し、都市部住民の家庭から廃棄される有機物(食べ残しや糞尿など)を集めて堆肥化させ、それを買い取る仕組みを作った。一方、農村部にはMapAgroという企業が、先進国から輸入している高価な化学肥料に代わる安価な堆肥を普及させて農産物を作る方法を指導。これによって都市部で1万6000人の新たな雇用を創出し、なおかつ農村部の使用する化学肥料を30%減らすことに成功した。もちろん、都市部のゴミ処理費用も大幅に減らせた。現在、この人たちはゴミから発生する温暖化ガス(メタンガス)を減らす「能力」を先進国の環境対応企業に売ろうと画策中だ。

都市部のゴミ収集と堆肥化はWasteConcern、それを農村部に運び売るところをMapAgroが担うという、バリューチェーン上の「相互補完」のビジネスモデル。これが3つめ。

実は社会起業家の事業モデルを見ていると、「競争」モデルを見つけるのが難しい。多くの社会起業家は、収益性と社会性という2つの目的を両立するビジネスモデルを構築している。その方法が、「融合」「共生」「相互補完」といった仕組み。こうした事業モデルは、社会起業家だけでなく一般企業も採用できるはずで、実際ユニリーバはインドで年初得1500ドル以下の貧困層を対象にビジネスを行うよう、ビジネスモデルを社会的なものに転換しようとしている。

BOP(Bottom of Pyramid:底辺貧困層)向けにビジネスをするためには、従来の競争モデルから、戦略パラダイムを根本的に転換しなければならない。既存の市場ではなく、新しい市場を創出すること、そこにいる人たちの社会的問題をフォーカスし、その解決をビジネスモデルの中に組み込むこと。収入を増加させる、雇用を生み出す、住宅を与える、環境を改善する、など。ネスレベトナムで、地域開発のための資金を提供しながら市場を広げるという戦略をとっている。社会起業家のビジネスモデルとパラダイムは、多国籍企業にとっても大きなチャンスである。

今日は3つの事業モデルを説明したが、もっと他のモデルがあるかもしれない。そうしたモデルを今後も探していきたいと思う。



【川上の感想】

・マイヤー教授の講演を聴いてまず感じたのは「社会起業家とは何かを定義したりその意義を議論したりするフェーズは、世界的には既に終わっていて、今はもう『いかにして企業はそのモデルを取り込めるか』の議論と実践のフェーズが始まろうとしているのだ」ということでした。

・つまり、「社会起業家」という、あたかも起業家個人の志や情熱といったものが貴重だ、泣けるといったところにシンパシーを集める日本語訳はともすれば誤解を招き、思考をそこで止めてしまうという意味では、あまり良くないのではないかと感じました。そうではなく、もっとシステマティックに「今、ここでどういうメカニズムの社会的イノベーションが起こりつつあるのか、これはどのように他の事例に横展開していけるのか」という、抽象化されたモデルを問わなければならないということです。

・懇親会の席で、IESE Alumniの日本支部代表の人(MUFGの方)に「それにしても、こういうモデルを導入しようという企業がいったいあるんですかね?」と尋ねたところ、彼は大まじめな顔で「いや、今はこういうご時世ですから、金融機関も事業会社も、とにかく新しいビジネスモデルを試さざるを得ないですよ。その意味では、こうしてうまくモデル化されれば、やってみようという会社は出て来るのではないですかね」と話してました。ちょっと衝撃的でしたね。多国籍企業などの大企業がこういうモデルを取り入れた事業をやる、ということ自体、私はこれまで考えたこともなかったです。あくまで「システムで動く大企業」のカウンターパートとして「個人の思いに立脚する社会的起業」があると思っていたので。

・マイヤー教授のプレゼンで私が注目したのは、複数の組織が役割分担しながら社会的問題の解決と収益創出の2つの目的を達成する「社会的起業」のメカニズムを、組織をまたがった影響関係を図式化した因果関係図を使って説明していることでした。つまり、「企業」という存在は、従来のビジネスモデル図に見られるような「顧客と取引先との橋渡し」「自社中心としたヒト・モノ・カネの流れの創出」ではなく、「社会的問題の解決」というより大きなプロセスの中の1つのパーツとして設計されなければならないということを、社会的起業に関する彼女の分析が図らずも示しているのではないかと思いました。

・講演の後のQ&Aで、「大企業と競争するような事業をSEがやる可能性、その場合の競争優位性」についての質問が出ていましたが、この質問にマイヤー教授は「既存企業と競合するかどうか、競合したらどう勝つかといった発想、パラダイムからそもそもSEは脱却すべき」と述べていたのも、上のような意味合いにおいて理解すると良いと思えました。つまり、既存市場でなく新市場を創造するのであれば「既存企業との競合」ということにはなり得ないし、また自社の存続でなく社会的問題の解決がビジネスモデルのコアなのであれば、より効率的な方法で社会問題を解決する企業が出てくればそちらに協力すれば良いだけのことだから、というわけ。でも、組織の存続を最終的な目的にする大企業には、そういう発想はやっぱり持てないんじゃないかなと、個人的には思いました。

以上、講演の超訳と川上の感想をお送りしました。

映像を使ったケース・セッション

今日は映像を使ったクラスについて、少しご紹介したいと思います。IFDPの中でも、映像を使ったプレゼンテーションはかなり頻繁に多用されていました。クラス内で上映される映像は、教授が説明してくれた範囲でケースとともに作られたと分かるもの、またはHBSなどから購入したというものなどがありましたが、中には「これどこから持ってきたの?」と思うものもありました(要するに企業CMをそのまま上映するものが多かった)。YouTubeなどの動画サイトから引っ張ってきたわけでもなさそうなので、いったいどうやって許可を取ったのだろう?と思うものが多かったです(日本の場合、ビジネススクールにおけるCMの上映は著作権上の問題で申請してもほとんど許可が下りません)。

ケースとともに作られた映像はもちろんyoutubeなどで探しても見つからないのですが、映像の上映許可を取っていなさそうなCMについては、youtubeで探したら見つかりました。以下、ちょっと引用してみます。


LEBRON JAMES in CHAMBER OF FEAR
これは、ナイキが中国で2006年に放映して1週間で放送禁止になったCM。リーダーシップのコースの中の、「異文化コミュニケーションとリーダーシップ」の回で紹介されていました。講師は「とても面白いCMだが、中国で放送すべきではなかった。克服すべき対象のモチーフが中国文化を引用しすぎている」とコメント。正直、授業の内容とのつながりがあまり良くないなと思っていたのですが、CMが面白かったので、何となく楽しいクラスだったような気がしました(笑)。

正直、こういうCMの上映って講義中にどこまでやっていいものなんでしょうかね。ある教授は、「どんなに長くても2分以上映像を上映することはしない。講義の内容よりもそちらに気を取られてしまうから」と話していました。ただし、あまり知られていないケースのお店の雰囲気を見せたり、団体の紹介を映像で行う(例:「ベニハナ・オブ・トウキョウ」のケースでHBSがベニハナに許諾を取って売っているCM映像や、ソーシャル・アントレプレナーシップの「Institute for OneWorld Health」のケースでの、IOWHの事業紹介の映像。後者はyoutubeにもありました)とかはよくやっているそうです。

ただ、どれもあくまでケース前のイントロダクション、興味喚起の役割がメインで、後半の議論のラップアップなどに映像を使うという例は、なかったように思います。唯一の例外が上のリーダーシップのクラスのナイキのCMでしたが、これも正直言って意図がよく分かりませんでした。映像は言語以上にストレートに脳の中にあるイメージを生成するので、議論の中から自分にとってのさまざまな意味合いをつかみ出させ、考えさせることを目的とするケースメソッドとは、もともとあまり相性が良くないのかもしれません。

次は、メルセデス・ベンツの、これも2006年のコマーシャル。youtubeでは「Funny commercial」というタイトルが付けられているほど、面白くてインパクトが強いです。


Funny commercial: beauty is nothing without brains

このCM、上映した瞬間はクラス中大爆笑でした。実は僕自身も面白すぎて、どのコースの講義で上映されたかすらよく覚えていない(笑)。面白すぎる映像教材の問題点は、その講義の内容を完全に忘れさせるほど「面白い」ことです。面白いCMを講義の時にやたら使ってはいけない、という実体験を伴う典型的事例でした。