エル・エスコリアル

昨日(27日)はマドリッドで時間があったので、エル・エスコリアルに行ってきました。

エル・エスコリアルとは何か?正式名称は「王立エル・エスコリアル聖ロレンソ修道院」(Monasterio de San Lorenzo de El Escorial)と言います。1584年にスペイン王フェリペ2世によって建設された王宮兼霊廟兼博物館兼図書館兼修道院で、16世紀後半から17世紀前半にかけての、「黄金の世紀」と呼ばれるスペインの繁栄の象徴のような建物です。日本で言うと、ちょっと時代は違うけど平安京京都御所みたいなもんでしょうか。
昨日は、飛行機の予約が27日に取れなかったために1日早くマドリッドに着いたので、丸1日予定が空いてしまっていました。ホテルにこもって勉強していても良かったのですけど、せっかく1日空いていることだし、生のスペイン語の会話の機会もちょっとは作ろうと思い、マドリッド近郊の世界遺産で有名なトレドとエル・エスコリアルのどちらに行こうか考えて、結局エル・エスコリアルにしました。

ちなみに、トレドはスペインのカトリック教会の総本山(イベリア首座大司教座)があるところで、ローマ時代からのイベリア半島の首都的な位置を占める街でした(日本で言う平城京東大寺みたいなもんかな?)。エル・エスコリアルを造ったフェリペ2世は、トレドからマドリッドに首都を遷都したご本人でもあります。「トレドは16世紀で時が止まった街」と言われるのは、そのせいなんですね。

で、エル・エスコリアルです。スペイン語の練習も目的の1つだったのでツアーは使わず、ホテルから地下鉄で「モンクロア」というバスターミナルに行き、そこからエル・エスコリアル行きのバスに乗って行きました。モンクロア駅に着いて地上に上がると、大きなロータリーがあっていくつかのバス停もあったのですが661番(エル・エスコリアル行き)のバスターミナルが見当たらない。そこで、近くを歩いていたおばさんに「¿A dónde está el autobus para El Escorial?(エル・エスコリアル行きのバスはどこですか?」と聞いてみました。

すると、「英語分かる?」と言われ、「あのガラスの建物の下!」と英語で言われました。うーん。でも質問は通じたっぽい。行ってみてびっくりです。巨大なバスターミナルは、何とモンクロア駅の地下にありました。そこで661番のバスを探してお金を払い、乗り込みます。

エル・エスコリアルに着いてから「Monasterio(修道院)」という標識を頼りに街を歩いていくと、でっかい建物がありました。見ると、観光客以外に中学生から高校生ぐらいの子どもも、たくさん見学に来ています。

内部は撮影禁止(2007年頃から全面的に撮影禁止になったみたいです)だったので写真はないのですが、3時間ぐらいかけて見て回った感想を少し。

見学順路には最初から最後まで、スペインの16〜18世紀あたりの宮廷画家たちの絵画が所狭しと飾ってあるのですが、いわゆる「グロテスク様式」と呼ばれるらしい、動物に人間の手足が生えていたり、デフォルメされた人間の身体の一部だけが動いていたりする絵画がすごく多いです。あと、これはカトリックだから当然なのですが、さまざまな画家によるキリストの磔の絵も、これでもかというぐらい飾ってあります。手足に杭の打ち付けられた後があり、右脇腹に切られた傷があるのですが、どの絵もすごく生々しいです。特に礼拝堂などの暗いところにあるこれらの絵は、気持ち悪い。夢に出てきそうでした。

こうした人体のデフォルメや動植物との融合みたいな絵を「グロテスク様式」というのですが、これはエル・エスコリアルが造られた16世紀後半の後期ルネサンスで「最新の芸術トレンド」だったそうで、宮廷の中で特に「ナウな貴族」の趣味としてもてはやされていたそうです。なんと、フェリペ2世とその妻のベッドのカーテンにも、このグロテスク様式の絵が全面に刺繍されてました。僕だったら夢に見てしまいそうです(しつこい)。

あと、美術館の解説の中に「この部屋はハプスブルグ家の誰々が使っていた…」といった説明が書いてあって、「スペインなのに何でハプスブルグ?」とか思っていたのですが、フェリペ2世の前の父カルロス5世(神聖ローマ皇帝カール1世)はハプスブルグ朝の継承者でもあったのですね。なので、このエル・エスコリアル宮殿ができた頃のスペイン(正確に言うとハプスブルグ家)は1580年のポルトガル併合によって、西はカリフォルニアからメキシコ、中南米すべて、(ポルトガル領だった)ブラジルとアフリカ大陸沿岸、欧州はイベリア・イタリア両半島とシチリア島、ドイツ、オーストリア、さらにはフィリピンなどまで領有する超巨大帝国だったというわけです。その隆盛も、宮殿完成のわずか4年後、1588年のアルマダ海戦でスペイン無敵艦隊イングランド連合艦隊に負けてから、下り坂に入っていくわけですが。

霊廟にはこのハプスブルグ朝の王族と、その後18世紀にスペイン国王を出したフランスのブルボン朝の王族が眠っていて、居室もハプスブルグ家とブルボン家で分かれているとのことでしたが、ブルボン家の王族の居室は見学経路に含まれておらず、見ることもできませんでした。スペインの人たちにとっては、ブルボン朝は(現在のフアン・カルロス1世国王の家系でもありますが)あまり誇りたいものではないのでしょうか。よく分かりませんが。

11時に入館してから14時過ぎまで歩き回って見学して、その後街のバール(居酒屋)でスパゲッティ・カルボナーラを食べてから、またバスに乗って帰ってきました。ホテルに帰り着いたのは16時過ぎでしたが、ミネラルウォーターを飲んで少し休もう…と思って横になったら爆睡してしまい、結局起きたのは夜中の12時。晩ご飯を食べるのを忘れてしまいましたが、不思議とお腹が減っていません。朝のビュッフェでしっかり食べているからか、それとも時差ぼけがまだ治ってないからなのか。

今日(28日)はこれから、IESEのマドリッド・オフィスに行ってきます。