EUという実験場

イニエスタふざけんな〜!
今日は、留学とは何の関係もないことをちょっと書いてみたいと思います。ネタはもちろん、昨夜の「スペインのサッカー欧州杯(EURO2008)優勝」です(笑)。

こちらに来た時からちょうどサッカー欧州杯が始まっていて、今年のスペインはなんだかやたら強いなーと思っていたら、あれよあれよという間に勝利を重ねて、ついにドイツを下して優勝してしまいました。「永遠の優勝候補」とまで呼ばれていたスペインが、欧州杯で優勝するのはなんと44年ぶり。カスティーリャ嫌いのここカタルーニャの人たちも、
さすがに今夜はそこまでひねくれてはいられなかったようで、前半33分に得点が出たときにはちょうど海沿いのショッピングセンターにいたのですが、フロアに人が誰もいなくなって、テレビのあるレストランの方から「ウォー」という地響きのような歓声が上がっていました。


その後レストランに入って食事をしながら試合の後半を見ていたのですが、もうレストランの観客もウェイターも、みんな試合が気になって気になって、食事の皿を出したり下げたりするのすら忘れてしまうほど。優勝が決まった瞬間には、レストラン中の客が総立ちしてこぶしを突き上げてるわ、ウェイターまでスペイン国旗を振って飛び跳ねて喜ぶわ、町中のクルマがクラクションを鳴らしまくるわ、あちこちでかんしゃく玉がバンバン爆発するわで、大変な大騒ぎでした。上の写真は、後半85分あたりでスペインのイニエスタが、ゴール前に転がったボールをシュートせずにスルーさせ、頭を抱える観戦客の皆さん(笑)。スペインのサパテロ首相とか、ジャンプする準備までしてたのに。イニエスタのバカ〜〜(笑)。

正直思うに、今夜の優勝の大騒ぎはバルセロナにとっても画期的な出来事だったのではないかという気がします。というのも、「キモイ経営と異文化マネジメント」というエントリの中でも書いたように、カタルーニャバルセロナ)の人たちはカスティーリャマドリッド)が大ッ嫌いなので、表だってスペインチームを応援することは絶対しないからです。修了式の時にガルシアポント教授に「サッカーのスペインチームは応援しないんですか?」って尋ねたら、「個人的には応援してるけどね、ここはバルセロナだから…」と言葉を濁されてしまうほど、反カスティーリャ感情が強いのですね。

でも今日の決勝戦は、そうしたカスティーリャカタルーニャのわだかまりを打ち消すような内容でした。シュートを決めたのはトーレスというマドリッド出身の選手ですが、ドイツDFが少しだけ届かないところに絶妙のスルーパスを送ったのはバルセロナ出身でFCバルセロナ所属のシャビ。カタルーニャカスティーリャの連携プレイが決勝点を叩き出したことに、カスティーリャ嫌いのバルセロナの人たちも、さすがに歓喜せざるを得なかったのではないかと思います。

【「民族自決」と「EU加盟」は両立するのか?】

欧州杯とは少し関係ないところに話が飛ぶのですが、今回IFDPに参加していて、生まれて初めて東欧やロシア、アフリカといった、自分のこれまでの人生の中でまったく接触経験のなかった地域の人たち(しかもかなりインテリジェンスの高い人たち)と、たくさん会話することができました。

その中でとても興味深かったのが、東欧・ロシアの人たちが一様に口にする、「共産主義時代のほうが暮らしやすかった。今はとても暮らしにくい」という話です。ロシアの人たちなどは「それってノスタルジーかもしれないけどね」などとやや皮肉っぽい口調で言うのですが、東欧の人たち(ハンガリーポーランドルーマニア)の人たちは割と大まじめに「自由化」は失敗だったと公言するのですね。

参加している教授同士である日、何かの拍子に「言論や宗教の自由と生活レベルと、どっちが大事か」というテーマで話をすることがあって、ビジネス畑の人たちが集まっているだけあって、ほぼ全員が「言論や宗教が多少自由かどうかなんてことより、毎日食っていけることのほうがずっと大事」という意見でした。ところが、実際に欧州で起こっているのは、それと正反対のことです。

例えば、旧ユーゴスラビア連邦がその良い例です。チトー大統領が80年に死んで以来独立運動があちこちで火を吹き、89年のベルリンの壁崩壊をきっかけに、まず91年にクロアチアスロベニアが分離、92年にはマケドニアボスニア・ヘルツェゴビナが分離、2000年にコソボが独立、そして2006年にモンテネグロセルビアから独立しましたが、これらの独立国家の中で人口が1千万人を超えるところはどこもなく、セルビアの900万人を除けばそれ以外すべての国が人口500万人以下で、最後に独立した(EUからも「人口が少なすぎて独立のメリットがない」と指摘されていた)モンテネグロに至っては60万人しか人口がありません。そして、これらの国々で独立前より経済が豊かになった国は1つもないのです。にもかかわらず、ヨーロッパのあちこち、スペイン国内でもバスクカタルーニャバレンシアなどで独立や自治権の拡大を目指す動きが絶えません。

バラバラになった旧ユーゴ諸国は民族や宗教などでお互いに反目しあって分離したのですが、その差といっても、よその国の人間から見たら絶対に区別の付かないレベルの話です。ボスニア・ヘルツェゴビナは今、さらに「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」「スルプスカ」という2つの地域の連合国になっていて、ここも「スルプスカ」が分離を企てていますが、その違いとは、両者とも方言レベルの差しかない言葉を話すのですが、それを表記するのに「ラテン文字」を使うか「キリル文字」を使うかというだけの差なのです。

バルセロナだってすべての標識や公文書がカタルーニャ語カスティーリャ語スペイン語)の併記になっているんだから、両方併記すればいいだけじゃないと思うのですが。それよりも1つの国あたりの人口が少なくなっていろいろな点で「規模の経済」が利かなくなるというデメリットのほうが大きいのではないかと思います。

しかし、こうした21世紀的「民族自決」運動の人たちは、僕が考えるような経済的デメリットの反論に対しては「国家は小さくても、経済力を付けてEUに入れば良い」と答えるんですね。実際、旧ユーゴ連邦各国の「共通の目標」がEU加盟なのです。これまた確かにそう言えないこともない。人口が47万人しかないルクセンブルグも、ちゃんとEUに加盟してうまくやってるじゃないかと言われれば、確かにその通りなのです。でも、EUに加盟できれば、経済の面では他の欧州諸国と本当に同じ水準に行けるんですか?というのが、僕の疑問です。ルクセンブルグモンテネグロでは、人口こそ100万にも満たない小国という点では同じかもしれないが、そもそも何かすごく違う気がする。それが何なのか、今の僕にはうまく言葉にできないのですが。

【政治的対立国と経済的にどこまで相互依存的になれるか】

EUの周辺国で起きている「EUに加盟しさえすれば政治的な民族自決は経済的デメリットにならない」という信念(あるいは幻想)が実は間違っているのではないかという僕の気持ち、「食っていくためなんだから、多少の言論・宗教の自由ぐらい我慢しろよ」というビジネススクールの教授たちの本音トークを裏付けてくれる、その「言葉にならない」何かを実はうまくかたちにして見せてくれたのが、もしかすると今回の欧州杯のスペイン優勝だったのではないかという気がしています。

スペインにおいて、カタルーニャカスティーリャは確かに政治的には常に対立しているのですが、経済的にはますますつながりを深めています。このことは、IESEを見ているだけでも十分よく分かりますが、経済的な主体(つまり企業組織)は、「スペイン語」という言語による範囲の経済が成り立つ領域に出て行く時にはカスティーリャのポジションを利用し、一方より広い範囲の他国へのアピール、国際性を強調する時にはカタルーニャのポジションを利用しています。互いの良いところを経済的につまみ食いできるからこそ、IESEというすごい学校も生まれたし、サッカーでも両地方のトップ選手をうまく組み合わせることで優勝ができたと言えるのではないかというのが、僕の見立てです。

本来は経済的に補完関係になれば良いはずの隣国と鋭く対立して、政治的だけでなく経済的にも地雷を抱えている国に対し、積極的に投資をしたいと思う企業は世の中にそれほど多くないでしょう。「グローバル化」という名の下に、地域や文化の価値観の差を乗り越えて、なるべく人間の普遍的な価値を軸に据えて自分たちのマネジメントを機能させたいと考えるグローバル企業にとって、経済的メリットを否定してまで文化的差異の重要性を強調する地域というのは、「キモイ、付き合いきれない」という生理的嫌悪が先に出てしまうのではないかと思うのです。

と、ここまで書いてたぶん「あれ?これってどこの国の話だっけ?」と思われた方もいるんじゃないかと思うのですが(笑)、そうです。東欧やロシア、スペインだけの話ではありません。極東のどこかの国も似たような状況、ありますよね。そういうのを何とかしていかないと、グローバリゼーションの波の中で勝ち抜くことはできないのではないか、という気がします。

このあたりの感覚って、実はアメリカや中国や日本にいるだけだと、なかなか実感できないように思います。かつてはアメリカが「世界の民主主義の実験場」と呼ばれていた時代がありましたが、今見るとEUがグローバリゼーションにおける新しい何かの「実験場」になっている気がしてしかたがありません。その実験がスペインのサッカーのようにうまく行くと良いのですが、我々もここから学ぶことは多いのではないかと思います。