IMDのファカルティ・ディベロップメント

ローザンヌのIMD
お久しぶりです。昨日からローザンヌに来ています。ローザンヌはとても緑の多くて美しい街で、日が暮れるのも早いです(笑)。ていうか、バルセロナから東に2時間も飛行機で飛んできたのに時刻が同じっていうのは絶対におかしいですよね。昨日は街をふらふら歩いて、スーパーマーケットを見つけたので「夕食を食べたらここで飲み物でも買っておくか」と思って7時前にもう一度行ったら、もう閉まってました。バルセロナならどんな店でも8時までは営業してるのに、ローザンヌは閉店するの早すぎ!とか思ってしまった僕はもう完全なエスパニョールかも(笑)。

さて、今朝はホテルから歩いて5分ちょっとのところにあるIMDに行ってきました。キャンパスはクルマの走る通りから少し外れた静かな住宅街の中にあって、とても静かで良いところです。写真は、レセプションの建物。この建物だけはファサードが古めかしいですが、実はこの裏側はガラス張りのモダンなビルになってます。キャンパス内の他のビルも、ガラス張りの近代的な建物が多いです。受付で待っていると、IMDのファカルティ・ディベロップメント(FD)の責任者であるジョン・ウォルシュ教授が迎えに来てくれました。

IESEでそもそもFDという言葉の示すものがかなり違うと感じていたので、今日のためにグロービスがどんな歴史的経緯をたどり、どんな状況にあり、どんなFDをやってきたのかを英語のプレゼンテーションにまとめて、最後に「知りたいこと」という項目まで書いてPCに入れて持ってきてありました。まず最初にそれをプレゼンしたのですが、ミーティングにはウォルシュ教授だけでなく、今回のアポイントメントをアレンジしてくれたグロービスや日本企業のことをよく知るドミニク・ターパン教授も同席してもらい、2人ともグロービスのFDのシステムについてはとても興味深そうに聞いてくれました。

その後、IMDのFD、についての説明を受けました。予想通りというか、IMDにおいて「FD」という言葉は、こうしたファカルティの採用から選考、育成、報酬など、学校運営のファカルティに関する部分すべてのことを指します。ウォルシュ教授は「FDはIMDにとって非常に重要だ」と話し始めましたが、それはFDがファカルティ組織のHRシステムそのものだからです。

ビジネススクール業界の「上澄みをすくう」というIMDの戦略】

まず言われたのは、「うちは他のtenureシステムを採用しているビジネススクールとはまったく違う」ということ。IMDにはPh.DやDBAコースはなく、あくまで他のBSから引き抜いてきた教授たちだけで成り立っています。したがい、教授の出入りはとても激しく、「新しい教授を探して他のBSから引き抜くのも、いつも大変だ」とのことでした。

採用については、世界中のビジネススクールの教授で「実務のことがよく分かっており」「良いティーチングをしている」人を探し出して声をかけています。実務をよく分かっているかどうかは、その教授の研究論文などを見て判断します。「実務についてよく分かっている人は実務的な論文を書いている」とのこと。また、ティーチングについては周囲の評判などを聞くそうです。声をかけるのはどんなに若くても37歳以上、たいていは40代前半の人だそうです(IESEのファカルティ・キャリアの時間軸で言うと、ちょうど助教授から教授になるかならないかあたりに差し掛かっている人のイメージでしょうか)。「IMDにはファカルティ候補の人材発掘についての組織的な活動はなく、教授の持つ個人的なネットワークが頼り」とのことでした。

自分たちで教授を育てる仕組みを持たないにもかかわらず、なぜ優秀な人材がIMDに集まるのか?その秘密は報酬システムにあります。IMDの年俸は(具体的にいくらというのは聞きませんでしたが)他のビジネススクールに比べてかなり高く、さらに高額のボーナスも出るそうです。ただし、それだけの年俸をもらうためには「IMDで成果を出し、学校に貢献する」という成果を出さなければなりません。

ウォルシュ教授によれば、IMDに来たばかりの教授の年俸は「BS業界の中ではとても低い」が、IMDでまず最初の1年目に「90セッション」をこなしてそれなりの評価を獲得し、かつ学校と自分の所属する領域(Department)のチームに対して大きな貢献をしたと見なされれば、基本年俸が2倍になるそうです。この「2倍」の理由は、90セッションという「量」と、その講義や活動の「質」の両方に対して報いる、という考えからです。より大きな貢献をした教授に対しては、「質」の部分でさらに最大2倍の年俸が用意されています。つまり、最大で入社時の3倍の年俸+ボーナスという巨額の報酬が受け取れるのです。

これらの年俸は、あくまでIMDでのティーチングと、プログラム開発など学校経営への貢献に対するものです。IMDにはPh.DやDBA課程も研究活動もコンサルティングビジネスもありませんので、これらの活動は教授個人の活動になります。教授によっては、IMDである程度活動した後、もっと研究に力を入れたいなどの理由で辞めていく人もいます。その意味では「辞めるのもすごく簡単な場所だよ」、とのことでした。当然ながらIMDにはtenureというステータスはありません。本当に徹底した「エグゼクティブ教育のプロフェッショナル」だけが集まった集団なのです。

ティーチングの質については、上記のように初年度に「90セッション」を担当し、その結果によって評価されますが、あまりにもティーチングの質が低い場合は、45セッションを担当したところで先輩教授と一緒に改善方法を議論する場合もあります。ただ、基本的には「HBSのケースメソッド」に完全に準拠することと、教授自身の能力に対する信頼がベースになっているので、ティーチングの評価が低い教授にはIMDに残るという選択肢はほとんどありません。非常に厳しいプロフェッショナルの世界です。

FDに関する説明の中で、ウォルシュ教授がよく使っていた言葉の中に「de-centralized(中央集権的でない)」というものがあります。IMDのFDはすべてDepartment(領域)単位のチームが中心となっていて、その中でティーチングマテリアルの共有なども行われていますが、「あくまで教授個人同士での共有」であり、組織として共有するというルールはないそうです。ターパン教授は「これは、IMDがたった50人のフルタイム・ファカルティのみの集まりだから実現可能なことで、IMDの組織に対する貢献意識の低いパートタイムのファカルティが混じっていたら、とても機能しないだろう。おそらくグロービスがやっているように、組織的に共有する方法を考えざるを得ないかもしれない」と話していました。

【IMD型のBSが成立するための前提条件】

IMDのFDシステムは、まさに「世界中のBSから少数精鋭の教授だけを一本釣りして作り上げる」という、上澄みをすくう戦略なわけですが、この仕組みがうまく機能するためには、「50人のフルタイム・ファカルティだけですべてを回す」という上記の話以外にも、いろいろな前提条件が含まれていると感じました。

その1つは、「HBS流ケースメソッド」というBS業界のデファクト・スタンダードへの完全準拠です。IMDの教授には「IMDでの講義のし方は…」といったティーチングの方法論は一切与えられません。「ケースメソッドでやってください」と言われるだけです。これは、講義への参加者も英語によるケースメソッドに慣れており(あるいはそれが最良の教育法だというコンセンサスがあり)、かつIMDの外部にその方法を教授に対してトレーニングしてくれる強力な教育機関(HBS、スタンフォードなどの米国大手BS)が十分な数存在しているということが前提とされています。

また、IESEのFDの中では克服の非常に難しい対立概念として捉えられていた「実践的であること(practical)」と「学問的に高度な知見を持つこと(academic)」という2つの相反するものを、IMDでは「個々の教授のレベルで克服されている」ということを採用の前提としています。これは彼ら自身も「とても難しいことだ」とは何度も言っていましたが、でも世界は広いから一生懸命探せばそういう教授はいる、という認識なのでしょう。ウォルシュ教授は「良い教授は研究論文自体がとても実践的だから、論文を読めばある程度分かる」とも言っていました。

ターパン教授が「グロービスは他の大学から教授を盗んで来ていないのか?なぜ一橋や慶応から良い教授を取らないの?慶応BSにも良い教授がいるの、私は知っているよ?」と聞くので、「これまでも何回か若い教授で優秀な人を取ろうとしたことはあったが、模擬を受けてもらったところ、多くはグロービスの教授法に合わせてもらうことができなかった」と話したところ、「教授というのはみんな1人1人独立した存在だ。その教授の教え方にまず信頼を持つというところから始めなければ、成り立たないだろう。私だって、その模擬とかいうのは受けたくないよ。それは止めた方が良いね」と言われました。

「でも、私がIESEでも思ったのは欧米の参加者は教授のレベルに対する許容範囲が広いと思う。日本ではちょっとでも講義の質が低いと思われると、すぐに受講者から事務局にクレームが寄せられて、カネを返せと言われる」と反論すると、ターパン教授は「日本企業や日本人にとって、そこはグローバル化する際のチャレンジだろうね。私が知っている限りでも、ちゃんとグローバル化できている日本企業は、我々のビジネススクールのケースメソッドのやり方や個々の教授の教育法に対して信頼を寄せており、いちいち文句を言うようなことはしない。日本もグローバル化したいのであれば、米国のビジネススクールのやり方に合わせないといけないだろう」と言われました。

このあたりは、やはりドメスティックな市場を相手にしている時と、インターナショナルな市場を相手にする時とでは、もはや切り分けて考えていかなければいけない部分なのだろうと思います。もちろんグロービスが日本人に合わせて作り上げた独自のケースメソッドの方法論を、インターナショナルな市場に向けても押し通していくというのも今後の選択肢の1つではあります。が、もしそうするのであれば、IMDのように国際「教授」市場から最良の人材だけを一本釣りして連れてくるということは、まずもって不可能と言わざるを得ません。おそらく、これから10年20年という長い年月をかけて内部にDBA課程も持ち、内部でオリジナルの方法論を身につけた教授を自力で育てていくというプロセスを踏まなければならないでしょう。

IMDのFDシステムが持っているもう1つの前提条件は、「50人のフルタイム・ファカルティで面倒を見きれる数のプログラム/コースしか持たない」ということです。IMDの場合、1人の教授が1つ以上のプログラムを担当することになっています。例えばウォルシュ教授はコカコーラとのタイアップによる「消費財マーケティング」に関するプログラムと、欧州・アジア・北米を回りながら1年かけて行うEMBAプログラムのディレクター、ターパン教授は電通とのタイアップによる「ジャパン・マネジメント」プログラムのディレクターでもあります。

IMDのこれらのプログラムは、1〜2年と長いものから3〜4日と短いものまで本当にさまざまですが、どれもそのディレクターになった教授が顧客ニーズの把握から企画設計、自分のネットワークの中で教授やゲストスピーカーを集めるところまですべて担当したうえで、開催しています。プログラムの内容のみを決めるアカデミック・ディレクターの役割と、顧客ニーズ把握やマーケティングに責任を持つプログラム・ディレクターの役割とを分けているIESEとは全然違います。これが、IESEの加瀬先生が言っていた「IMDは規模を追求できない」ということの意味かと分かりました。

また、1人の教授がコースの何から何まですべて決めると、どうしても自分の専門領域に偏った内容になってしまわないかと心配になるのですが、IMDの場合はそこも「教授に対する信頼」がまずありき、ということになっています。しかし、そのためにざっと開かれているプログラムのパンフレットを眺めたところ、IESEに比べて領域横断的なプログラムは少なく、特定の領域に特化したプログラムが多かったです。

議論の中で、ウォルシュ教授に「グロービスではいったい年間いくつぐらいのコースを開いているの?」と聞かれましたが、グロービスの場合、スクール部門だけで毎四半期ごとに東名阪の3拠点で180本以上のコースが開かれているというと、何を言っているのかよく分からないという顔をされました(笑)。マーケティングで言えば、ビギナー向けのエントリーコースからベーシックコース、消費財にフォーカスしたコース、ビジネス顧客にフォーカスしたコースの4種類があり、それぞれにパートタイムの講師を2〜10人程度使って毎期20コース程度開催している、と説明してやっと分かってもらえました。

IMDの場合、7月2日時点で開かれているプログラムは8コースとのことでしたが、おそらくIMDの場合、企業研修を含めても年間通じてせいぜい100〜200本前後のプログラムしか行われていないのではないかと思います。50人のフルタイム・ファカルティがマンツーマンで責任を持って担当できるプログラムは、それが限界でしょう。だからこそ少数精鋭なのだし、世界最高のエグゼクティブ教育の機関だと胸を張って言うことができるのだろうと思います。ちなみに、ウォルシュ教授が担当するIMDのエグゼクティブMBAプログラム(1年で世界5ヶ所を回りながら6回に分けて行うパートタイムのディグリー・プログラム)は、学費だけで12万2000スイスフラン(1200万円)。いやはや、想像を絶する世界です。

IMDの話を聞いて、どちらも同じようにHBSが生み出したケースメソッドを用いて経営教育を行っているBSなのに、IESEとIMDは極めて対照的なのだと感じました。かたや伝統的な大学の枠組みとスペイン語経済圏という巨大な後背地を持ち、その中でまず国内、次にインターナショナルへと50年かけてフォーカスを高めてステータスを高めてきた学校。かたやネスレというグローバル企業の企業内大学としてのフォーカスを生かしながら、トップ・オブ・ザ・ワールドを目指して世界中のビジネススクール市場の上澄みだけをすくい取ることに徹してきた学校。そして、どちらも欧州ではトップレベルのビジネススクールと評価されるに至っています。どちらもグロービスにとって参考になる部分もたくさん持ちつつ、あまり参考にならない部分も同時に併せ持っていると言えそうです。

この1ヶ月あまりを通じて、我々グロービスはいろいろな意味で(良くも悪くも)グローバルなビジネススクールとしてのポジションを持つためにはまだ何もない組織なのだと痛感しました。しかし、国内市場で培ったアドバンテージは確実にあり、これをグローバルな市場の中でどこをどう使ってアピールすれば一番効果的かが問われているのではないかという気がしました。ターパン教授も、「グロービスの直面している問題は、極めて難しいと思う。我々も常に悩んでいるが、あなた方の問題は我々の比ではないと思った」とコメントしていました。我々は何を実現するためにどういう手だてを取るのか、IESEやIMDのどこをどう真似、どこを真似ないのか、これから1つ1つ議論していくほかありません。

***

明日から僕は、ツェルマットというスイスの山岳リゾートに行って、6日までアルプスの山歩きを楽しんできたいと思います。めったに来る機会のないヨーロッパで、つかの間のバカンスです。ツェルマットでは当然ながらインターネットはつながりませんので(笑)、留学報告もこれにていったんおしまいとなります。

ただ、まだここに書き切れていないエピソードや皆さんにご紹介したい経験なども残っていますので、帰国したらまたしばらく更新するかもしれません。また、皆さんからの「こんな話はどうなの?こういうことについて、IESEやIMDではどうか知りたいんだけど」といった質問などもお待ちしています。可能な限りお答えしていきたいと思います。

ここまで30回以上の長尺の連載でしたが、通して読んで下さった方、どうもありがとうございました。毎日のアクセスログが執筆の励みになっておりました(笑)。また、つまみ食いして読んでいただいていた方にもお礼申し上げます。ぜひお手すきの際にあちこち目を通していただけると幸いです。この報告が、皆さんの新しいインスピレーションや、「自分も留学してみたい!」という思いにつながることになれば、僕にとっても望外の幸せです。

では、これにてごきげんようAu revoir!

EUという実験場

イニエスタふざけんな〜!
今日は、留学とは何の関係もないことをちょっと書いてみたいと思います。ネタはもちろん、昨夜の「スペインのサッカー欧州杯(EURO2008)優勝」です(笑)。

こちらに来た時からちょうどサッカー欧州杯が始まっていて、今年のスペインはなんだかやたら強いなーと思っていたら、あれよあれよという間に勝利を重ねて、ついにドイツを下して優勝してしまいました。「永遠の優勝候補」とまで呼ばれていたスペインが、欧州杯で優勝するのはなんと44年ぶり。カスティーリャ嫌いのここカタルーニャの人たちも、
さすがに今夜はそこまでひねくれてはいられなかったようで、前半33分に得点が出たときにはちょうど海沿いのショッピングセンターにいたのですが、フロアに人が誰もいなくなって、テレビのあるレストランの方から「ウォー」という地響きのような歓声が上がっていました。


その後レストランに入って食事をしながら試合の後半を見ていたのですが、もうレストランの観客もウェイターも、みんな試合が気になって気になって、食事の皿を出したり下げたりするのすら忘れてしまうほど。優勝が決まった瞬間には、レストラン中の客が総立ちしてこぶしを突き上げてるわ、ウェイターまでスペイン国旗を振って飛び跳ねて喜ぶわ、町中のクルマがクラクションを鳴らしまくるわ、あちこちでかんしゃく玉がバンバン爆発するわで、大変な大騒ぎでした。上の写真は、後半85分あたりでスペインのイニエスタが、ゴール前に転がったボールをシュートせずにスルーさせ、頭を抱える観戦客の皆さん(笑)。スペインのサパテロ首相とか、ジャンプする準備までしてたのに。イニエスタのバカ〜〜(笑)。

正直思うに、今夜の優勝の大騒ぎはバルセロナにとっても画期的な出来事だったのではないかという気がします。というのも、「キモイ経営と異文化マネジメント」というエントリの中でも書いたように、カタルーニャバルセロナ)の人たちはカスティーリャマドリッド)が大ッ嫌いなので、表だってスペインチームを応援することは絶対しないからです。修了式の時にガルシアポント教授に「サッカーのスペインチームは応援しないんですか?」って尋ねたら、「個人的には応援してるけどね、ここはバルセロナだから…」と言葉を濁されてしまうほど、反カスティーリャ感情が強いのですね。

でも今日の決勝戦は、そうしたカスティーリャカタルーニャのわだかまりを打ち消すような内容でした。シュートを決めたのはトーレスというマドリッド出身の選手ですが、ドイツDFが少しだけ届かないところに絶妙のスルーパスを送ったのはバルセロナ出身でFCバルセロナ所属のシャビ。カタルーニャカスティーリャの連携プレイが決勝点を叩き出したことに、カスティーリャ嫌いのバルセロナの人たちも、さすがに歓喜せざるを得なかったのではないかと思います。

【「民族自決」と「EU加盟」は両立するのか?】

欧州杯とは少し関係ないところに話が飛ぶのですが、今回IFDPに参加していて、生まれて初めて東欧やロシア、アフリカといった、自分のこれまでの人生の中でまったく接触経験のなかった地域の人たち(しかもかなりインテリジェンスの高い人たち)と、たくさん会話することができました。

その中でとても興味深かったのが、東欧・ロシアの人たちが一様に口にする、「共産主義時代のほうが暮らしやすかった。今はとても暮らしにくい」という話です。ロシアの人たちなどは「それってノスタルジーかもしれないけどね」などとやや皮肉っぽい口調で言うのですが、東欧の人たち(ハンガリーポーランドルーマニア)の人たちは割と大まじめに「自由化」は失敗だったと公言するのですね。

参加している教授同士である日、何かの拍子に「言論や宗教の自由と生活レベルと、どっちが大事か」というテーマで話をすることがあって、ビジネス畑の人たちが集まっているだけあって、ほぼ全員が「言論や宗教が多少自由かどうかなんてことより、毎日食っていけることのほうがずっと大事」という意見でした。ところが、実際に欧州で起こっているのは、それと正反対のことです。

例えば、旧ユーゴスラビア連邦がその良い例です。チトー大統領が80年に死んで以来独立運動があちこちで火を吹き、89年のベルリンの壁崩壊をきっかけに、まず91年にクロアチアスロベニアが分離、92年にはマケドニアボスニア・ヘルツェゴビナが分離、2000年にコソボが独立、そして2006年にモンテネグロセルビアから独立しましたが、これらの独立国家の中で人口が1千万人を超えるところはどこもなく、セルビアの900万人を除けばそれ以外すべての国が人口500万人以下で、最後に独立した(EUからも「人口が少なすぎて独立のメリットがない」と指摘されていた)モンテネグロに至っては60万人しか人口がありません。そして、これらの国々で独立前より経済が豊かになった国は1つもないのです。にもかかわらず、ヨーロッパのあちこち、スペイン国内でもバスクカタルーニャバレンシアなどで独立や自治権の拡大を目指す動きが絶えません。

バラバラになった旧ユーゴ諸国は民族や宗教などでお互いに反目しあって分離したのですが、その差といっても、よその国の人間から見たら絶対に区別の付かないレベルの話です。ボスニア・ヘルツェゴビナは今、さらに「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」「スルプスカ」という2つの地域の連合国になっていて、ここも「スルプスカ」が分離を企てていますが、その違いとは、両者とも方言レベルの差しかない言葉を話すのですが、それを表記するのに「ラテン文字」を使うか「キリル文字」を使うかというだけの差なのです。

バルセロナだってすべての標識や公文書がカタルーニャ語カスティーリャ語スペイン語)の併記になっているんだから、両方併記すればいいだけじゃないと思うのですが。それよりも1つの国あたりの人口が少なくなっていろいろな点で「規模の経済」が利かなくなるというデメリットのほうが大きいのではないかと思います。

しかし、こうした21世紀的「民族自決」運動の人たちは、僕が考えるような経済的デメリットの反論に対しては「国家は小さくても、経済力を付けてEUに入れば良い」と答えるんですね。実際、旧ユーゴ連邦各国の「共通の目標」がEU加盟なのです。これまた確かにそう言えないこともない。人口が47万人しかないルクセンブルグも、ちゃんとEUに加盟してうまくやってるじゃないかと言われれば、確かにその通りなのです。でも、EUに加盟できれば、経済の面では他の欧州諸国と本当に同じ水準に行けるんですか?というのが、僕の疑問です。ルクセンブルグモンテネグロでは、人口こそ100万にも満たない小国という点では同じかもしれないが、そもそも何かすごく違う気がする。それが何なのか、今の僕にはうまく言葉にできないのですが。

【政治的対立国と経済的にどこまで相互依存的になれるか】

EUの周辺国で起きている「EUに加盟しさえすれば政治的な民族自決は経済的デメリットにならない」という信念(あるいは幻想)が実は間違っているのではないかという僕の気持ち、「食っていくためなんだから、多少の言論・宗教の自由ぐらい我慢しろよ」というビジネススクールの教授たちの本音トークを裏付けてくれる、その「言葉にならない」何かを実はうまくかたちにして見せてくれたのが、もしかすると今回の欧州杯のスペイン優勝だったのではないかという気がしています。

スペインにおいて、カタルーニャカスティーリャは確かに政治的には常に対立しているのですが、経済的にはますますつながりを深めています。このことは、IESEを見ているだけでも十分よく分かりますが、経済的な主体(つまり企業組織)は、「スペイン語」という言語による範囲の経済が成り立つ領域に出て行く時にはカスティーリャのポジションを利用し、一方より広い範囲の他国へのアピール、国際性を強調する時にはカタルーニャのポジションを利用しています。互いの良いところを経済的につまみ食いできるからこそ、IESEというすごい学校も生まれたし、サッカーでも両地方のトップ選手をうまく組み合わせることで優勝ができたと言えるのではないかというのが、僕の見立てです。

本来は経済的に補完関係になれば良いはずの隣国と鋭く対立して、政治的だけでなく経済的にも地雷を抱えている国に対し、積極的に投資をしたいと思う企業は世の中にそれほど多くないでしょう。「グローバル化」という名の下に、地域や文化の価値観の差を乗り越えて、なるべく人間の普遍的な価値を軸に据えて自分たちのマネジメントを機能させたいと考えるグローバル企業にとって、経済的メリットを否定してまで文化的差異の重要性を強調する地域というのは、「キモイ、付き合いきれない」という生理的嫌悪が先に出てしまうのではないかと思うのです。

と、ここまで書いてたぶん「あれ?これってどこの国の話だっけ?」と思われた方もいるんじゃないかと思うのですが(笑)、そうです。東欧やロシア、スペインだけの話ではありません。極東のどこかの国も似たような状況、ありますよね。そういうのを何とかしていかないと、グローバリゼーションの波の中で勝ち抜くことはできないのではないか、という気がします。

このあたりの感覚って、実はアメリカや中国や日本にいるだけだと、なかなか実感できないように思います。かつてはアメリカが「世界の民主主義の実験場」と呼ばれていた時代がありましたが、今見るとEUがグローバリゼーションにおける新しい何かの「実験場」になっている気がしてしかたがありません。その実験がスペインのサッカーのようにうまく行くと良いのですが、我々もここから学ぶことは多いのではないかと思います。

感傷的な閉講式

修了証書と記念写真金曜日は最終日で、午前中が「企業訪問」。バルセロナ近郊のワイナリーに連れて行ってもらえると聞いていたのですが、バスに乗って着いたのはこちらカタルーニャ地方を代表する企業の1つで、トーレスというワインメーカーでした。で、最初にトーレスのワインの歴史を解説する映画を見せられ、次にワイナリー内を走る電気観光列車に乗せられて、ブドウ畑やワインセラー、ボトル詰め工程などを見学。最後に4種類ほどのワインを試飲して、直営ショップを通ってお帰りという、インタビューとか何にもなくてただのワイン工場見学じゃーんという、でもみんな試飲で酔っぱらってお土産のワインを買って大満足というお気楽なツアーでした。

学校に戻ってからプログラムに対するアンケートを書きました。すべてのコースに対して「事前の情報は十分だったか」「コース中の学びは大きかったか」「学んだことは役に立つか」「コンテンツとメソッドは良いか」「コースに関連した資料などは十分か」「クラスの設計は良かったか」「教授は十分疑問に答えていたか」「教授は良く準備していたか」という8項目について5段階で評価し、かつコメントも書くという内容でした。酔っぱらっていたので(笑)適当に5と4に○を付けて出してしまいましたが、Gのアンケートに比べてややコンテンツや設計といった中身の部分にまで踏み込む内容のアンケートだったのが(IFDPだけかもしれませんが)印象的でした。

アンケートを書き終わったら、いったんホテルに戻って少し休憩し、18時30分からいよいよ閉講式です。教室には、学部長のホルディ・カナルス教授、IFDPプログラムディレクターのハビエル・サントマ教授、リュイス・レナルト教授をはじめ、ケースメソッドのカルロス・ガルシアポント教授やコースデザインのホアンナ・マイル教授、リーダーシップのパブロ・カルドナ教授など、主な教授陣も集まってきていました。

Bowing
アルファベット順に1人1人名前を呼ばれて、学部長から修了証を受け取ります。僕が出て行くと、後ろから「日本人だからお辞儀をするんじゃないか」的な期待感が伝わってきましたので、半分ウケ狙いでお辞儀をして受け取り、見事に笑いが取れました(笑)。修了証は、冒頭の写真のように、証明に加えて初日に撮影した記念写真、そして1人1人の顔写真の下に名前の入った「IFDP16期生」というカラーの写真名簿とセットになっていました。あと、自分の席の前に立ててあった名札をそれぞれ記念に持って帰りました。

【IESEの教育の理念と成果を淡々と語る学部長のスピーチに感動・・・】

修了証の授与が終わると、参加者代表、プログラムディレクターのサントマ教授、そして学部長のカナルス教授の順にスピーチがありました。参加者代表は、フィリピンから来たロランド氏です。彼のスピーチは非常に格調高く、分かりやすい英語でしたがIESEの教授陣に対する感謝の気持ちが深く伝わるものでした。あまりにも素晴らしかったので、後に演壇に立ったサントマ教授が「ロランドさんのスピーチで終わりにできれば最高だったのですが…」と苦笑しながら話し始めたほどでした。

しかし、僕が本当に心を打たれたのはその後の学部長のカナルス教授のスピーチでした。彼は、次のようなことを話していました(例によって川上の超訳です)。

ピーター・ドラッカーも言うように、21世紀はマネジメントの世紀である。歴史上これほどプロフェッショナルなマネジメントが必要とされている時代はなく、その必要性は今も日々高まり続けている。我々、そしてIFDPの参加者の皆さんはそうした時代の中で、世の中が必要とする優れたプロフェッショナル・マネジャーを育て、世に送り出すという使命を負ってここにいる。今年はHBSが設立されて100年、IESEはHBSほどの規模はないが50周年を迎えた。マネジメントの世紀はまだ始まったばかりで、我々はこれからやらなければならないことがまだたくさんある。

皆さんの多くは発展途上国から来られている。おそらくIESEを見て、皆さんはこう思われただろう。うちの学校にはこんな立派な教室はない。教授もいない。予算もない。何かやろうにも時間がない。ケースメソッドを認めてくれる人も回りにいない。でも、それはスペインの我々だって50年前には同じだったのです。50年前にIESEが設立された時、スペインはまだ独裁政権が続いており、スペイン内戦の傷も癒えておらず、ヨーロッパの中で最も経済の遅れた国とされていた。

我々はそこからスタートして、何度も苦境を乗り越えて自分たちの信じる未来を実現しようと努力した結果、今ここまでやってきた。これは我々IESE、あるいは教授という職にある人間だけの話ではなく、スペインという国とそのプロフェッショナル・マネジャーたちの話だ。だから皆さんも、たとえ今目の前であらゆるものが足りないとしても、皆さんがプロフェッショナル・マネジャーを育て、彼らに大きな精神的影響を与えることのできる教職として、「いつかできる、だから未来を信じ、夢を持つべきだ」ということを我々を見ることによって信じ、皆さんの接する人々に伝えてほしい。

我々が皆さんに期待しているのは、優れたプロフェッショナル・マネジャーは社会を、会社を、あらゆる組織を変えられる、それによって夢をを実現できるということを信じること、そしてそれに向かってチャレンジすること、つまりIESEがこれまで世の中に伝えようとしてきた価値を、皆さんも1人でも多くの人に伝えてほしいということだ。この1ヶ月、本当にお疲れ様でした。

こういう内容を、淡々とした語り口でしゃべられると、涙腺が崩壊するんですよねー僕は。おかげでスピーチの後半はポロポロ涙をこぼしていました。でも、回りにも目の赤い人が何人かいました。スピーチの終わったあとに拍手がやみませんでしたね。きっと他の参加者も、自分の祖国のことを思い浮かべて万感の思いだったことでしょう。

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バルセロナの夜景の中で】

感動的な閉講式の後は、バスに乗ってモンジュイックの丘へ。なんと、モンジュイックのロープウェイの駅近くの絶壁の上に立っている、バルセロナの街を一望できる素晴らしい眺めのレストランが予約されていたのです。店の外側には「Restaurant」とだけしか書いていないし、ガイドブックにも載ってないという謎のレストランでした。聞いてみたところ、人数の少ないIFDPのクロージング・パーティーだけに使われるレストランだとのことです(MBAコースは人数が多すぎるので、学内のレストランで卒業パーティーが行われます)。

ここで、ちょうどガルシアポント教授とお隣り合わせに座ることができたので、彼に最後にいろいろな話を聞いてみました。面白かったのは、「IESEはどこの認証を取っているんですか?」と聞いた時の返事です(IESEは、実際にはAMBA、EQUISの認証を取っています)。彼は「認証?あんなもの、何の意味もない。世の中からちゃんと認めてもらっている学校に認証なんかいらない。認めてもらえてない学校にとっては、確かに必要だろうけどね」と皮肉たっぷりの返事。

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横にいたブラジルから来たマルコスという参加者が「やっぱりランキングのほうが重要だからですか?」と聞くと、教授は「ランキング?あんなもの、もっとインチキだ。順位なんか上げようと思えば上げられるし、下げようと思えば下がる。昔、IESEでランキングの順位を上げるための委員会というのを作って、マスコミが調査対象にしているリクルーターに模範問答例を配布したり、年収の上がった受講生を集めたリストを渡したりしたら、10位ぐらい一気に上がった。インチキだよあんなもん」と、一刀両断でした。

ほかにもいろいろと面白い話をしていましたが、今回のプログラムの中で僕が一番人間的な魅力を感じたのは彼でしたね。テクニックではなく、信念と身体でぶつかろうとする教育者だなあと思いました。

そんなわけで、プログラム最後の夜は見事な夜景とおいしい食事でふけてゆきました。最後はみんな、スペイン式のハグ&キスでお別れのあいさつ大会。なぜか僕もその中に巻き込まれます。帰り際、リーダーシップのカルドナ教授に「日本人ってたいていドイツ人と同じようにものすごく真面目で何にもしゃべらなくて黙って座ったままなんだけど、君はどうも日本人じゃないみたいだね?IESEに来て、ラテン系になっちゃったの?」と声をかけられました。実はもとからそういう性格なんです…と言いかけましたが、うまく言葉にならなかったので笑顔で返しておきました(笑)。というわけで、頭に血が上りやすくておしゃべりで涙腺が緩いラテン系な性格であることが、本場でも証明されたようです。

IESEアルムナイへのお誘い

Alumni_iese水曜日は通常の最終日ということで、アルムナイのオリエンテーションもありました。これはとにかくGMSのアルムナイ活動の参考になる情報をもらわなければと(笑)、自分のアルムナイの話をそっちのけで必死にメモを取りましたので、ご報告したいと思います。

実は、IESEはアルムナイ活動はあまり評価が高くないです。The EconomistによるMBAスクールの世界ランキングの各項目評価を見ると、IESEはキャリアサービス(卒業後どのくらいの割合で就職できたか、年俸は上がったか等)の評価はとても高いのですが、アルムナイネットワークの評価はそれほど高くないです。このため、彼らもアルムナイの強化には結構力を入れているようです。どんな仕組みになっているのか、少しご紹介しようと思います。

IESEのアルムナイの活動のミッションは、アルムナイのサイトにも書いてありますが「卒業生に対して、卒業後も継続的な学びの機会を提供すること」と、「学びの機会の提供を通し、卒業生同士や卒業生とIESEが協力しあえるようにすること」です。

この、「継続的な学びの機会の提供」というところが、IESEのアルムナイのまず1つめの大きなポイントだと思います。つまり、MBAを「1回限りのサービス」ではなく、「生涯かけて学ぶサービス」という位置づけに変えることで、卒業後の学生からも収益を得る機会を生み出しているのですね。

またHBSの場合、『ハーバードからの贈り物』などを読むと、「卒業してから10年は同窓会に出るな」という格言があるほど同期生は互いを「ライバル」視するようなのですが(このへんは伝聞の範囲なので間違っていたらすみません)、IESEの場合は同期生を「卒業しても学び続ける仲間」と位置づけることによって、アルムナイのミーティングへの参加のハードルを下げているように思えました。

【アルムナイでのサービスが教授の大きな役割の1つ】

IESEのアルムナイの機能は、大きく分けて3つあります。「情報提供サービス」「セミナー・カンファレンス」、そして「コミュニティ」です。

情報提供サービスは、オンラインによるものがほとんどで、何種類かあります。1つはe-confarenceという、あちこちでやったアルムナイ・カンファレンスの代表的なものをインターネット上の動画で見られるようにしたものです。それ以外は、3ヶ月ごとのeメールによるアルムナイ・マガジン、あとアルムナイの名簿データベース、Factivaなど外部の情報データベース、ライブラリサービスの提供などです。

アルムナイの名簿サービスは(もちろんアルムナイ同士だけですが)、たぶんMBAホルダーの人にとってはとても有意義なネットワークツールなのでしょう。最初のプロフィール提出の際に「どこまで公開しますか?(1)すべて(2)個人プロフィルのみ(3)会社プロフィルのみ(4)個人の名前と会社名のみ(連絡先非公開)(5)一切公開しない」の5つから選ばせるようになっていて、まだアルムナイウェブに入って見てないから分からないけど、たぶん個人情報筒抜けモードです。あと、@iese.netドメインのメールアドレスもアルムナイサービスに入っています。

次のセミナー・カンファレンスですが、ここは最近IESEが最も力を入れているところです。

まず、各国のアルムナイ・ミーティングに合わせた「出前セッション」。昨年1年間でIESEの教授延べ90人が、22カ国に出かけていき、186回のセッションを行い、1万8263人が参加したとのこと。「今年はこれを2倍にします」と、アルムナイの事務局の人が公言しておりました。

そう、IESEの教授の大きな役割の1つが、この「各国のアルムナイ・ミーティングに出かけていって、そこで最新のビジネス情報を卒業生たちに提供する」というものなんですね。しょっちゅう引っ張り出されている教授とそうでない人と、かなり差はあるようですが、いずれにせよここがIESEの教授にとっての重要な仕事であることは間違いありません。

こうした情報提供セッションをもっと大がかりにしたものが、「ショート・フォーカス・プログラム」と呼ばれる、3〜5日の日程で世界中で行われているミニコースです。今年の後半から来年前半にかけて開かれる予定のショート・フォーカス・プログラムをざっと並べてみると、次のような感じです。

  • インサイド・ニューヨーク(2008年9月22日〜25日):ニューヨークで超豪華ゲストを集めてお送りするIESE渾身のエグゼクティブセミナー。そのゲストとは、トニー・ブレアジャック・ウェルチマイケル・ポータームハマド・ユヌス!凄すぎ。
  • インサイド・アフリカ(2008年10月27日〜31日):アフリカへの進出または投資を考えている方向けに、アフリカ経済の将来について。
  • 正しいグローバル戦略のあり方(2008年10月28日〜31日):グローバル展開する企業にとって、正しい戦略を考えるためのツールを提供。
  • インサイド・インド(2009年3月9日〜13日):インドでビジネスを考えている方に対して市場機会の捉え方の解説。
  • ルールに基づく活動(2008年9月30日〜10月3日):近年ますます強まる政府規制に対して、ビジネスモデルをどのように構築するべきかのアイデアを提供するセッション。
  • インサイド・チャイナ(2009年4月20〜24日):上海CEIBSとのジョイントプログラム。中国でのビジネス展開について考えるセミナー。
  • クリエイティブな組織文化とイノベーション(2008年11月18〜21日):企業内でイノベーションを起こし、クリエイティビティを活性化したいリーダーのための処方箋。

…などなど、挙げていくときりがないほどたくさんあるのですが、こういうのを1セミナー3〜4人ぐらいの教授で提供していく有料セミナーが英語・スペイン語の両方で多数開催されています。

このほか「コミュニティー」というさまざまなレベルの同窓会(Reunion)が年中どこかで開かれています。最も大きなのは、年1回秋に開かれるIESEのインターナショナル・コミュニティー(同窓会)。これ以外にもクラス単位の同窓会、地域ごとのアルムナイ・ミーティングなどさまざまな同窓会があり、それらに呼ばれれば教授が出かけていって講演するという仕組みです。

あと、今年から卒業生向けのキャリアに関するアドバイスサービスも始めたとのことでした。内容はよく聞いていませんが、たぶん現役生へのキャリアサービスを拡張したようなイメージでしょうか。まあ、IFDPのメンバーにはあまり関係がなさそうな話でしたが(笑)。

【会費は払って当然!という演出】

いろいろと説明があったのですが、最後にアルムナイメンバーシップに対する会費を見て、びっくり。スペイン国内在住者は411ユーロ(約7万円)/年、海外在住者でも164ユーロ(2万7000円)/年もするのです。

あまりに高額でびっくりしたので、あとでIFDPのディレクターのイサベラに「この会費って、もし払わないとどうなるのかな?」とおそるおそる聞いてみたところ、「え?!払わないの?さっきアルムナイ事務局の人が説明したと思うけど、メールとかいろいろなカンファレンスとか、ああいうアルムナイ向けサービスが全部受けられなくなって、単にアルムナイに名前が入ってるだけになるのよ!」とか、信じられないといった表情で呆れられてしまいました。

そんなにとんでもないことを言ったかしら…としょんぼりしつつ、あとで夕食に一緒に出かけた他の参加者に「会費結構高いけど払う?」と聞いてみたところ、アフリカやロシアといった途上国組は「ノー。自分では到底払えないし、うちの大学も関心を持つとは思えない」、オランダやカナダといった先進国のメンバーも「あまりメリット感じないし、たぶん払わないと思うよ」とつれない答え。そっか、みんな冷めてたのねーと、ちょっとホッとしました。ちなみに僕の分は払おうかどうしようか、まだ考え中です。冷静に考えるとあまりメリットもなさそうなのですが、そうは言っても機関誌やセミナー情報など、今後のグロービスのためにいろいろ参考になる情報も仕入れられる貴重な機会だと思うし…。会社からアルムナイ会費とか、出してもらえませんかね?(笑)>陶久さん

でも、MBAコースの卒業生は、こんなカネすぐに払えるぜ!みたいな仕事に就くから、余裕で払えるんでしょうねーなどと思って、本当はどのくらいの入会率なのか調べてみようと思い立ち、IESEのアルムナイの昨年度の決算報告を見てみました。

すると、なんと!アルムナイ会費収入が330万ユーロ(5.5億円)にも達しています。会費を払っている卒業生が全員スペイン在住だったとしても、これまで累計3万人以上のアルムナイのうち、4分の1以上の8700人が払っている計算。もちろん海外にいる人も多いでしょうから、そうするとアルムナイの半分近くは会費を払っているということになります。こんなに高い会費なのに、皆さんよく払うよなあ。ものすごいロイヤリティですね。そしてもちろん、各国のアルムナイ活動に対する支援や事務局の人件費等を引いても、何と100万ユーロもの黒字が出ているのでした。

というわけで、グロービスもアルムナイ活動を卒業生に対する付帯サービスと考えるのではなく、それ単体で「黒字になる」ことを目指していかないといけないといけないなあと思った次第です。

「教授」というお仕事のキャリア設計

ファカルティのキャリア
水曜日はIFDPの実質最終日で、朝から夕方5時までスケジュールがびっしりでした。といってもそれほど1限目は「ケースメソッド以外のティーチングツール」、2限目が「ケースライティング」、3限目がアルムナイの説明。ランチの後は受講者による最後のケースプレゼンテーション、そして「リーダーシップ」の最終回でした。

最終日ということで、教授もあまりカリキュラムをこなすことにこだわるというよりは、会場から出る質問に合わせてクラスを進めていく感じで、これまで議論し足りなかった部分に議論が集まるなど、ためになる話がたくさん出ていました。その中で1つ、改めて深く考えさせられたのが、教授のキャリアという視点の話です。

1限目の「ティーチングツール」のクラスでは、ロールプレイについて議論することになっていました。で、実際にやってみようということになり、受講生の1人が新しいtenure(終身在職権)の審査にかけられることになったという設定で、定年間近の老教授、学部長、事務局長、その教授の所属学科の代表、そしてその受講者のことをかばう教授という5人が審査委員会で話し合う、というシチュエーションです。僕は「所属学科の代表教授」という役割で、ロールプレイに参加しました。

ロールプレイの内容はここでは詳細には触れませんが、クラスの議論を沸騰させるなかなか面白いロールプレイでした。ですが、ここではちょっと別の話を書きたいです。それは、このロールプレイをやる前にクラス内で議論した「フルタイムの教授とは何か?」という定義についてです。

これまでも「ファカルティ・ディベロップメント」のコースで、こうした教授職のキャリアとは何か、どうあるべきか、といった話は聞いていました。その時のバスケスドデロ教授の板書が、上の写真です。

彼曰く、教授職のキャリアとは4段階に分かれます。まずPh.Dを取って学術研究の実績をある程度認められ、助教授(Assistant Professor)にアサインされ、3年ほど教鞭を執ったりさらに研究をしたりして実績を上げます。3年ほどしたら助教授としての実績を評価されたうえで、准教授(Associate Professor)への推挙を受けます(第2段階)。ここまでが助教授になってから5年程度。ここからさらに4〜5年、フルタイム(つまり専任)教授への審査を受けます。これが第3段階。そして助教授就任から10年ぐらいして終身在職権と専任教授のポストを得ます(これが第4段階)。そして、それぞれの段階によって研究・教育・コンサル・マネジメント等の業務の比重が変わってくるべきだ、というのがバスケスドデロ教授の説明でした。

彼の説明によってIESEにおける教授のキャリアはよく分かったのですが、受講生のそれぞれの国、ビジネススクールではどのような状況なのかがあまり聞けていませんでした。昨日のクラスでは、サントマ教授がクラス中の受講生に「あなたのスクールではどう?」と話を振ってくれたので、いろいろな国の教授事情について話を聞くことができました。

【終身在職権は、ビジネススクールで必要なのか?】

議論して分かったのは、まず「フルタイム」あるいは「終身在職権」ということについての定義がものすごくまちまちだということです。フルタイムって何?というサントマ教授の質問に、「Permanent position, no more evaluation(永久的な地位で、それ以降は評価を受けない)」という意見が出た瞬間、それに対して他の受講生から異論が噴出しました。

「フルタイムであっても5年おきに論文の数、他の教授からの評価、受講者からの評価などを集めて評価が行われ、他の教授よりも著しく評価が低い場合はフルタイムからパートタイムに降格が行われる」(ルーマニア)、「フルタイムと言っても、政府の認めた教授と、各大学が認定する教授の2種類がいて、前者は本当のtenureだが後者は企業や大学などのスポンサーがそのポジションに10年程度しかコミットしない」(スウェーデン)など、うちは違うという声が次々と上がります。

一方、「うちの国では今とにかビジネススクールの教授が足りないので、教授として就任した瞬間に終身在職権が保証される」(ブラジル)といったうらやましすぎるお話も出たりと、その状況はまさに国によってさまざまです。

聞いていて思ったのは、「そもそも終身在職権(tenure)って何のためにあるんだろう?」ということでした。文科省2003年に欧米主要国のテニュア制度について調査した結果をまとめたサイトを見ると、「教員の自由な研究活動を保障する」ために作られた制度で、「定年まで」の教員としての「身分を保障する」ということになっています。それ以外の説明は、IESEのバスケスドデロ教授の言うこととだいたい同じですね。つまり、どういうことか?「教員の自由な研究活動」を保障する必要がある場合のみ、終身(場合によっては)定年まで)の「身分」だけが保障されるものであり、給料まで保障するとはどこにも書いてないわけですね。これは一般的な「大学教授」の話です。

では、ビジネススクールでは教授職の何がどこまで保障されるべきなのか?個人的には、ビジネススクールの教授に「時の政権/企業に逆らって、職を賭してでも発表しなければならない学問的成果」というものがあるとは、到底思えません。しかもIESEの教授たちも言うように、高い評価を得るビジネススクール(HBS、IESE、IMDなど)に経営学の学問的な研究などそもそも存在しないのです。ということは、「どんな研究を発表しても職を失うことはない」という保障をする必要は、はっきり言って「ない」ということですね。

それ以外の部分については、上の各国の受講生の言い分を聞いても分かるように、MBAスクール産業における需給バランス、卒業生を採用する企業のニーズ(MBAスクールに実践的な職業訓練を求めるのか理論的補強を求めるのか)、そして教授になってもらいたい人材がビジネススクールに対して他の職種より魅力を感じるにはどうすれば良いかという社会状況、これらの相互関係で決まると言えます。

教授と言えども人間ですから、「経営学が三度の飯より好きで好きで、これさえ教えてかかわっていられるなら霞を食っていてもかまわない」なんていう奇特な人は世の中にほとんど存在しなくて、たいていは「将来収入がなくなっても困らないくらい多額のカネが稼げる」か「将来にわたってある程度の収入が保障される」かどちらかがないと困る/魅力を感じられないわけです。

で、ビジネススクールというのは投資銀行ベンチャーキャピタルのようにディール1本で数十億のフィーが飛び込んでくる商売ではありませんから、やはり「将来にわたって生活が維持できる収入を保障」するけど、その分実際に「中長期的に成果をあげ続け」られるようにがんばってね、という雇用体系にならざるを得ないし、その中で魅力的なインセンティブが提示できれば、それで十分なのではないかと思います。

【「実践的」であり続けるためのキャリア設計】

…と書くと、「なーんだビジネススクールの教授って言っても、普通の企業のサラリーマンと同じ給与体系でいいんじゃん?」と思われる向きもあるかもしれませんが、しかしコトはそう簡単ではありません。普通の企業のサラリーマンと違って、ポテンシャル顧客からの評価が「あの有名な○○教授」「あの××な理論を考え出した△△教授」といった個人に対するreputation(世間の評判)で決まる傾向が多分にあり、また教えるというスキルそのものは属人的かつ組織に属させることができないportable(可般)なものであるため、

  • 雇用されている学校で収入がゼロでも、他の学校で講師をやることによって生計を立てられてしまう
  • reputationという「営業資産」すら、その際に持って行くことができてしまう

という、非常に「売り手(教授)」側の交渉力の強い条件の中でのインセンティブ交渉になってしまうわけです。ビジネススクール側は「いかに自分のスクールのカラーの一部になってくれるか」を教授に期待するわけですが、教授の側は「いかにスクールのカラーから自由で居続けるか」が自分の労働の流動性を高める条件だと思っているので、そこに勝負をかけてきます。したがい、単に「こうこうこういう契約で○年間いくら払うからここにいてくれ」という交渉をするだけでは、教授側に圧倒的に割の良い契約を交わすことになるのは確実です。

欧米のビジネススクールではこうした不利な交渉を挽回するため、教授が在職中に書いたケースはすべてスクール側に著作権(厳密には著作物財産権)を譲渡するとする契約を結んだり、IESEの場合は個人のスター教授を作らず、MBA1年次のコースは教授ではなく学科ごとに品質責任を持たせることで個々の教授のティーチングノウハウを共有させるようにし向けていたりと、いろいろな施策が打たれているわけですが、その中でもやはり見逃せないのが、「ファカルティ・ディベロップメント」という名前の「キャリア設計相談」の機能だと思います。

これは特定の専門担当者がいるわけではないのですが、学科ごとに先輩教授が後輩の教授のキャリア設計についていろいろとアドバイスをするようになっているとのことでした。バスケスドデロ教授のコース自体が、集団キャリア相談みたいなものだったと思うのですが、IESEの場合は教授の業務を「研究」「教育」「学内マネジメント」「コンサル(EPA:学外でのプロフェッショナル活動(External Professional Activities))」の4分野に大きく分けていて、キャリアの4段階ごとにどの分野にどのくらい力を入れさせるか(逆に言うと次のステップへの評価をどのような比重で決めるか)をきちんと決めています。

IESEの教授のキャリア設計で一番問題になるのは、やはり「どこまで実践の経験が積めるか」というところにあるようです。助教授の間はとにかく研究、そして多少の経験を積む程度の教育への関与があればよく、准教授になってからフルタイムになるまでの間の4〜5年間に教育活動とコンサルで成果を出すことが求められるとのことでした。コンサルというのは、個人で仕事を取ってくる場合、学部長や学科の先輩教授などが頼まれた仕事を割り振られる場合とがあるそうです。

一口に「コンサル」といっても、求められる役割は日本と欧米ではかなり違うようですから(欧米は徹底的に正論をロジカルにぶつけることが求められる。日本はクライアントと一緒にどれだけ考え、手を動かし、汗を流したかが求められる)、我々も実践的であるためにコンサルティング活動をやりましょうとは到底言えないのですけれども、ただ良い教授に自分たちのスクールからよそへ移籍しようと考えさせないために、雇用や給与の保障といった「インセンティブ」以外に、やはりその内的なモチベーションとキャリア設計との整合を取ってあげるという機能が大きな役割を果たしていると言えると思います。

日本の大学って、教授職のキャリア設計がものすごくいい加減(研究室の教授の政治力と一存次第。その教授が失脚すると徒弟全員が失業する)な仕組みなので、その意味でも優秀な人材が集まらないようになってるんですね。我々が組織として教授(になる予定の人々)のキャリア設計をきちんとしてあげられる能力を持つことができれば、我々にとっては国内市場だけでなく、グローバルで見ても教授獲得の大きな競争力になるのではないかという気がしました。

モンセラット登山

6月24日の「聖ヨハネの日」は祝日で、街は店も軒並み休業となりひっそり静まりかえっていましたが、プログラム・ディレクターのサントマ教授(登山が趣味)のご厚意で、モンセラット(Montserrat)という、バルセロナから1時間ぐらいの岩山のある観光地にエクスカーションに出かけることになりました。

普通、モンセラットは鉄道やバスでモンセラットの麓まで行き、登山列車やロープウェイで登るのですが、趣味が登山の教授の引率だけあってそれで済むわけはありません。エクスカーションの参加希望アンケートには「by Bus」と並んで「on foot」の項が。20〜30台の若い参加者を中心に、10人余りがバスツアーではなくハイキングの方に参加することになりました。僕ももちろんハイキング組です。

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「聖ヨハネの日」前夜祭(Fiesta de San Juan)


先週の金曜日にさまざまなグループ発表のあるコースの最終回があり、今週は1セッションのみのプログラムがちょこちょこと入る以外は金曜日に閉講式とクロージング・ディナーを残すのみとなりました。4週間(実質3週間)でしたが、今から思うとあっという間だったなあと思います。

今週はバルセロナのローカルホリデーが6月24日、6月26日と続き、その2日はIESEも休みです。24日は夏至なのですが「San Juan(サン・フアン=スペイン語で聖ヨハネのこと)」の日と言われ、謂われはよく分からないのですがカタルーニャの人たちにとってはとても大事なお祭りのようです。月曜日の夜、受講者の仲間たちが「今日はあちこちで花火が上がるから、街に出かけて夕ご飯を食べよう」と声をかけてくれたので、男女4人ずつ、8人のメンバーに僕も同行することに。

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