教育の「最適化」とケースメソッド

今日は初めての週末で、ちょっと一息ついているところです。ちょうどはてなブックマークを見ていたら面白い話題を見つけたので、僕も少し議論に参加させてもらおうと思います。

無駄だらけの現代授業を最適化しよう - 高校生奮闘記

授業の最適化について捕捉 - 高校生奮闘記

このid:lonlon2007という高校生君が「こうなってほしい」と言っている授業というのは、実はケースメソッドそのものなんですね。ケースメソッドのクラスでは、「AとはBのことである」とか「AはBという解法によって解かれる問題である」とか、そういう本を読めば書いてあるようなことは、教えません。それらの「知識」は、先に本でもネットでも読んで知っておけ、というのがケースメソッドの授業です。
では授業では何をやるのかというと、講師がケースに書かれている状況を指し示して「ここでは、いったい何が問題なのか?」「主人公は何を考えるべきなの?」「どうしてそういう結論が言えるの?」「本当にあなたの言ったような答えが正しいと思う?別の答えはないの?」といった質問を、次々と学生たちに投げつけます。

学生は、授業に来る前にケースについて似たようなことをまず学生同士で議論しておきます。そのときにはもちろん参考書を見ようが辞書を引こうがインターネットを使おうが、何をしても構いません。しかし、クラスの中ではGoogleに聞いても絶対に答えの出てこない質問について、「自分だったらどう考えるか、どうするのか」を必死で考えて発言しなければならないのです。

ケースメソッドを使うことによって、学生は何を得るのでしょうか?僕は大きく2つあると思っています。

1つは、「覚えた知識をどのような場面で具体的にどう使えば良いのかを理解できる」ことです。学校で知識をいくら詰め込んでも、その知識が実際に社会の中のどのような場面で役に立つのかは、今の学校では教えてもらえません。

「いつかどこかで役に立つから覚えておけ」というのは義務教育のレベルではその通りかもしれませんが、例えば我々ビジネススクールの講師が「この会計学の知識はいつかどこかで役に立つから覚えてください」と言っても、学生は「明日(あるいは数ヶ月以内に)自分の仕事で役に立つと思えるもの」以外は覚えようとはしません。企業で働く人間にとって、結果を出すために頭を使わなければならないことは他にもっとたくさんあり、いつ使うか分からない知識を一生懸命覚える必要など感じないからです。

だから我々は、知識を教えるだけでなく、その実践的な場面での使い方も一緒に教える必要があります。そのために、実在の企業や人物が直面した状況をなるべく具体的に描写したもの(ケース)を学生に読ませ、「もしあなたがこのような状況に直面したら、どうすれば良いと思うか?」と問いかけ、議論させることで、覚えた知識を「実際に使えるようになっておく」練習をさせるのです。

ケースメソッドで得られるもう1つのことは、「より良く生きていくためには、単なる知識以外にもっと大事なものがあることを理解できる」ということです。これを言うとそもそも今の学校で教えている知の体系を否定することになりかねないので、現存の教育関係者は決して口にしないのですが、実は我々がうまく生きる、良く生きる、楽しく生きるためには、知識よりももっと必要、かつ重要なものがあります。

最近、経産省や財界から「社会人力」とか「問題解決力」とかいう言葉が出てきていて、大学にそういうものを学生に身につけさせるようにせよといった声が上がっていますが、そこで指摘されているような「力」は、知識のことではありません。IESEのIFDPでは、それを「To solve non-operative problems(作業によって片付けられない問題を解決する力)」と呼んでいます。ちなみに僕のいるビジネススクールでは、それを「問題解決の思考プロセスを踏む力」と呼んでいます。

知識というのは、ある問題を解く際に「こういうパターンに沿って解けば、楽に解けるよね」ということが分かっている場合の、その「パターン」のことです。一度そのパターンを知った人は、何か似たような問題が目の前に出てきても、すぐにそのパターンを当てはめる(演繹)ことができれば、問題を解くことができます。パターンを知らない人は、ウンウン考えて悩まなければ解けません。だから知識は大事なのです。

しかし、実際の世の中、会社や仕事、家庭などでは、ある単純なパターンを当てはめれば解けるような問題は存在しません。というか、昨今はそのような問題はさっさとコンピュータが解いてしまってくれるので、我々人間の目の前には「パターンを当てはめる」という作業だけでは解けない問題が次々と現れることになります。

これまでは、そうした問題は「社会に出て経験を積め、そうすればどうすれば良いか分かる」とだけ言われてきました。少なくとも僕が大学生から社会人になった頃までは、大学で何を勉強していたかなど、就職の時に何も聞かれなかったどころか、自分がいかに一生懸命勉強したかを就職面接で力説するような学生は、「こいつは知識を過信しすぎている、使い物にならない」などと思われて落とされたものです(最近はどうか知りませんが)。企業は「社会経験のない」新卒を採用して自社の中でさまざまな仕事の経験を積ませることによって、そうした「作業化できない問題解決」の能力を10年20年かけて、じっくり身につけさせられると考えていたのです。

しかし、今や企業には採用した人材が複雑な問題を解決できるまでに10年20年待って経験を積ませるなんてことをする余裕は、もうなくなってしまいました。彼らは、大学卒業とともに「複雑な問題を既存の知識の当てはめだけでなく、自分の頭で考えて解決できる人材」を採用したがっているのです。まあ、普通に考えればわがままとしか言いようがない(笑)と思うのですが、実際今起きているのはそういうことです。

一方、そうした要求を企業から突きつけられている大学や高校などの教育機関は何をしているのか?正直言うと、ほとんど何もできていません。そもそもこれまで「知識」を教えることが自分たちの仕事だと思ってきた先生たちに、いきなり「知識はもう良いから、知識があっても解決できない問題を解決する方法を教えてやってくれ」と言われて、できるわけがないのです。というわけで、最近は我々ビジネススクールの出番がやっと来たと思っているところなんですが(笑)。

でも、わずかながらではありますが、高校レベルからでもこうした「知識ではなく、行動し問題を解決する力を身につけさせる」教育を試みているところがあります。以下のリンクは、まさにそうした試みの最先端と言えるでしょう。

地域起業家を育てる高校生むけケースメソッド(その1)
高校生むけケースメソッド(その2)

こちらで高校生向けのケースメソッド教育に取り組まれている慶応SFCの飯盛(いさがい)先生を存じておりますが、彼自身が元々起業家であり、学問的ではなく実践的な教育の必要を訴え、それを追求し続けている素晴らしい方です。id:lonlon2007さんも、ぜひ大学生になったらこうした活動にも接してみてもらいたいなと感じています。そういう塾を作りたいというのなら、飯盛先生もid:lonlon2007さんに全面的に協力してくれると思いますよ。