「キモイ経営」と異文化マネジメント

IESEのすぐ下にあるESADEのキャンパス
今日(月曜日)は、午前中にコーチングと研究指導という1回もののコースがあり、午後はなぜかビジネススクールにおけるディスタンス・ラーニングの活用みたいなセッションと、IFDP2008のアルムナイ代表を決める投票があり、16時前に終わりました。コーチングのセッションは、ケイジー(Keirsey)の性格診断テストをもとに人格的欠点を克服するみたいな議論をしていたのですが、教授からしてちょっとKYな感じの話しぶりの人で、個人的にはかなりどん引きしてしまいました。研究指導のところは、IFDPの卒業生というファイナンスの教授が一人でよく分からないことをまくし立てていて、これもまったく頭に入らず、出席しなければ良かったと後悔。午後のトピックも意味がよく分かりませんでした。

というわけで、何だか無為に過ごしてしまった感の強い今日でしたが、ホテルに戻ってきてから日経ビジネスオンラインに掲載されたIMDのジョン・ウェルス学長のインタビュー記事「『一枚岩文化』では、世界に勝てない」を読み、先週のリーダーシップのコースの最終回のことを思い出したので、その話について少し書いてみようと思います。

IMDと言えば「世界競争力ランキング」で有名ですが、この記事はそのランキングでどうして日本の評価が低いのかを論じたものです。ウェルス学長の結論を一言で言ってしまうと、「日本の評価が低いのは、外国人や女性といった異質なものを組織の中で活用しようという行動を企業が取らないからだ」というのがその論旨です。

これまでにも日本を批判する際に繰り返し言われてきたことですが、これに対して読者から寄せられているコメントは、比較的好意的なものが多いものの、一方で「だって日本企業の半分以上は海外市場など関係ないところで生きているんだし、企業は合理的に行動しているだけで、多様性を認めない企業の存在を許したりそういう制約を与えている社会の制度の問題だ」とか「何でも欧米中心主義にすればいいとは思わない」といった、よく聞かれる反論も見られます。

このやり取りを読んで僕は、その間にとても大きな「埋まらない溝」があるような気がしました。その溝とは、いくつかの日本の読者のコメントが、賛成意見にしろ反対意見にしろ「一枚岩文化を止める」ことは「文化的な多様性を認める」ことであるという思いこみのうえに述べられている気がしたことです。

でも、こちらに来て思ったのは、欧州のビジネスパーソンたちの意識は、既にこの「文化的多様性」というレベルからは大きく抜け出ているということです。IMDのウェルス学長のインタビューをよーく読むと、そのことが書いてあることに気づきます。彼は「多様な文化を認めろ」とは一言も言っていないのです。インタビューの最後のほうに書いてありますが、「(企業は)違うカルチャーを吸収するなどとは、考えない方がいい」と述べています。

【「独自文化」を強調する企業/国は“キモイ”】

先週の金曜日に、「リーダーシップ」のコースのケースメソッドによる最終セッションがあったのですが、HBSの「Ellen Moore(A): Living and Working in Korea」というケースを元に、クロスカルチャー・マネジメントの議論をしました。

今回のIFDPの報告の中で、あまりこの「リーダーシップ」のコースについて僕が触れていないのに既にお気づきの方もいらっしゃるかもしれません。実は僕はこのコースは講師の品質、ケースの配置と学習目的の設定などの点で「反面教師」的な部分が大いにあると思っていたので、ここではあえて紹介してきませんでした。

このケースは文字通り、エレン・ムーアという女性が、米韓の合弁で設立されたSIコンサルティング会社のチームマネジャーとして韓国に派遣されるという話です。彼女は韓国語を覚え、アルコールが飲めないのに韓国人の飲み会にも付き合ってジンロとビールのチャンポンを飲み干し、ビジネスコミュニティにとけ込もうと努力しますが、米国でPh.Dを取得したSI未経験の韓国人マネジャーと、大型プロジェクトは初めてという新人コンサルばかりの韓国人部隊のプロジェクト進捗遅延の責任をなすりつけられて、韓国側から更迭を迫られる、という話です。

受講生は皆、最初はエレンが悪くないものと思って、何とか彼女の主導権を回復させる方法はないか議論するのですが、講師が「実は韓国人のマネジャーは、女性でしかもSI経験の豊富な彼女を『自分の地位と帰国後の初仕事の名誉を脅か
しに来た邪魔者』としか思っていなかった」という事実を明かします。そして、エレン自身もこうした韓国文化特有のものの考え方を理解せずに、表面的に文化を受け入れる努力しかしていなかったこと、米側のマネジャーたちもこうした韓国文化をきちんと踏まえた人材配置や組織構成の経験を共有・蓄積してこなかったことなどが失敗の原因だ、という結論を提示して終わります。

講師が「皆さんは、彼女が“より深い韓国の文化”を理解しようとしていたと思う?」といった質問を投げて、表面的な異文化適応しかしなかった彼女を批判的に見せようとするのですが、受講者は皆言葉も少なく、心の中では恐らく「じゃあ一体韓国でビジネスをするときに、どこまでのレベルで文化適応すればいいって言うんだよ…」と、どん引きムードでした。

そのあとのランチの時に、僕は「Don't be afraid of asian cultures,
everyone!!」とか冗談飛ばして、ちょっと場をなごませておきましたが、欧州の人たちからすれば「国や地域ごとに文化が違うなんて当たり前じゃん。でもそんなのにいちいち“深いレベルで適応”なんて言っていたら、マネジメントなんてできないじゃん」という気持ちだったのだろうと思います。

例えばここスペインですら、バルセロナの人たちは今やっているサッカー欧州杯のスペインチームを応援しません。「スペイン(カスティーリャ)はカタルーニャバルセロナのある地方)の敵だ」と思っているからです。民族と宗教と言語のモザイクで成り立つ欧州で、いちいち「その国の文化の違いに深く適応して…」などと言っていたら、ビジネスなんかできないのです。彼らの回答は明確です。「文化が違うなんて百も承知。企業はうまくマネジメントしたければ、構成員の文化に依存しない組織構造とルールをきちんと作れ」というのが、こちらの考え方なのです。

こんなことを偉そうに書いている僕も、前職の日経ビジネス記者時代には、よく先輩に言われて「最強のDNA」だとか「組織文化を強みにして」などといったタイトルを付けた記事を書いていました。でも今になって思うと、企業固有のDNAやら文化があります、それが我が社の強みですって言って胸を張っている日本企業って、欧米の人たちから見ると「キモイ」としか見えないのだろうと思います。

もちろん、欧米企業にもその企業独自のカラーというものはあります。ロシア人の女性教授は僕に、「私のいるビジネススクールはとても大きいけれど、徹底して企業の現場でのコンサル経験などの実践を大切にして、またほかのビジネススクールと掛け持ちする教授を歓迎しない雰囲気があるの。それが好きだから今のところにいるのよ」と教えてくれました。

組織風土が人をその組織にとどまらせる魅力になる側面は確かにあるでしょう。しかしそれは本来「好き嫌い」のレベルの話です。それが組織の事業構造を支えているのであれば7Sの「Shared Value(価値観)」に含まれるでしょうが、それはやはり「実践的な知見を重視」とか「他校との掛け持ちを歓迎しない」といった、明文化されたルールやポリシーによって示されるべきものであり、「我が社には我が社の人間にしか分からないDNAがあるんですよ」といった言い回しは、グローバルかグローバルじゃないかにかかわらず、外部からマネジメントの対象として見た時には、「何そのキモイ企業/組織」と言われてもしかたがない気がします。

グローバル化とは、文化の差を合理的な建前」で押し切ること】

IESEの若手教授による「エレン・ムーア」のケースの結論は、そういう意味で僕には「今どきそんなオチで納得するビジネスパーソンがいるわけないだろ」と思わせるものでした。

我々は人間ですから、組織で動く時に感情が判断に入り込む余地があるということ自体に異論を差し挟むつもりはないのですが、グローバル化していく世界の中で「だから相手の感情にもっと深く入ってあげないと…」というのは、「無茶言うなよ」という一言で終わってしまう気がします。

それよりは、IMDの学長が言うように「ここからここまではあなたに行動の裁量を認める。その範囲で自由に仕事をして成果を出してください。あなたの努力と成果には最大限の賞賛で応えよう」とか、「チームで働くこと、チームに貢献することが我々にとって最も尊重すべき価値観である。なぜなら〜」といった明文化によって、地域や国に固有の文化ではなく、より汎世界的な人間性の尊重をテコに価値を生み出すような組織へと、企業そのものの仕組みが切り替わっていかなければならないのだろうと思います。

ハイコンテクストな「文化」に代わってビジネスにおいて人間を駆動させる力、それを僕は「合理的建前」と呼んでも良いのではないかと思っています。「エレン・ムーア」のケースに見られるような従来のクロスカルチャー・マネジメントというのは、たぶん「相手の文化をより良く理解してあげれば相手の行動を変えられる」という考え方だったと思うのですが、これってまさに「米国対韓国」とか、経済的に「対等じゃない2国間」関係の間で言っていた話なんじゃないかと思いました。

経済的に「相互依存な多国間」関係が当たり前のこれからの時代は、クロスカルチャーの原理も「強者が弱者に合わせつつコントロール」から、「合理的な建前で押し切るマネジメント」に変わってくるような気がしますし、そのルールをきちんとビジネスパーソンに伝えていくのが、これからのビジネススクールの役割ではないか。IMDの学長のインタビュー記事に、自分がぼんやり考えていたことと同じようなことが書かれているのを見て、そんなことを考えました。